勤め先における仕事について、常々、「楽しいかも」と思うときもあれば、「さすがにこれはつまらないな」とそれぞれ感じることがあり、その度にそれらの気持ちとの付き合い方が難しいなと感じています。
時折、ぷつっと気持ちが切れてしまいそうになることもあって、この点大変ですが、しかし、無性に仕事をしたい気分になっているときもあるものです。
この「無性に仕事をしたい気分」の時はびっくりするほど仕事が進むのが早いです。
これはおそらく、「自分が仕事をしたいタイミング」にちょうど仕事を進めているからなのかなと考えています。
勤め人は基本的に9時5時と言われるように、仕事をするべき時間が決まっていることが多かったりします。
最近は例外も出てきているようですが、基本的には勤め先によって仕事をするべき時間が決められてしまっているのが勤め人というものなのでしょう。
しかし、人間の調子というのは千差万別であり、いつでも9時から5時のように決められた時間だけ調子が良いということはそんなに多くは無いと思われます。
人によっては極端に朝方という人もいれば、むしろ19時以降の時間帯が本番、という夜型人もいると思います。
このような様々な人の個性を一斉に9時5時という画一的な労働時間に強制してしまうことが不幸の始まりなのかもしれない、と感じることも多いです。
このように考えると、学校教育という名目で、朝確実に授業に出席することを要求し、出席点というものを設けてそれを乗り越えることができた人のみに、卒業の認定を与えて、そのような卒業の認定を受けた者のみを原則として企業に送りつける仕組みというのは改めてよくできていると感心するばかりです。
もちろんと言ってしまうとあれですが、私は典型的な、このような「特定の時間に確実に起きて確実に特定の場所まで行く」ということがとてつもなく苦手なタイプです。
時間的場所的に自由を奪われてしまうことに拒絶反応を示してしまうようです。自律性を害されてしまうと感じるわけですね。
そのような事情もあって学校教育というものに対する強力なアレルギーのようなものがあります。勉強は好きなくせに学校は嫌いなわけです。
たとえ学校教育の内容を充実させたところで、このような「特定の時間に確実に起きて確実に特定の場所まで行く」ことが強制されてしまう仕組みが採用されている時点で敬遠せざるを得ないのです。
しかしながら、私の考えでは、高度プロフェッショナル制度のような、時間にとらわれない労働者のための制度が出てきている流れが確実にあるので、勤め人における9時5時という特定の時間に纏める発想はこれからだんだん減っていくのではないかと予想しています。
予想をしているだけなので、様々な職場まで浸透するまではまだまだ時間がかかってしまうのではないか、と感じており、そのあたりはしばらく時間を待たないといけないなと感じています。
勤め先における、「特定の時間に確実に起きて確実に特定の場所まで行く」ことの強制の必要性がどんどん無くなって行くにつれて、おのずと、学校教育の方でも同様の行動を促すための規律がなくなっていくのではないか、と考えています。
そうすれば、私のように、「特定の時間に確実に起きて確実に特定の場所まで行く」ことが苦手な人であっても、しっかりと学校教育の恩恵を受けやすくなるのではないでしょうか。
そのような社会が早く到来することを常に私としては願うばかりです。