どんな人生を歩んでいきたいか、自分がどんな人間でありたいか、ということを改めて考えていくと、やはり現段階では、自分で自分の運命を切り開ける人でありたい、と考えています。
これは、逆に言えば、どんな理不尽な状況や逆境に遭ったりしたとしても、どんな不幸に見舞われたりしても、そこでめげずに事態を打開していこうとするという強い気持ちが求められる生き方だと思います。
環境が悪いとか、社会が悪いとか、政治が悪いとか、もっと身近な例で行くと、職場の人間関係が、とか、友達が微妙だとか、家族が微妙だとか、大富豪の娘に産まれなかったとか、都会出身じゃなかったとか、そんな嫌な状況、現実、というのは考えれば私の中でいくらでも見つけることができます。
これらの非情な状況により自分の人生が阻まれている、因果関係がないとは言い切れないという現実はあるのは確かです。
しかし、周りの状況というのは一朝一夕には変えることができないということもまた真でもあると思います。
もし、私が突然社会をよくするために政治家になることを志し、どこかに立候補したとしても現実的に社会が良くなるまでの活動が功を奏するまでには非常に時間がかかるでしょう。それこそ人生をかける覚悟が必要になりそうです。
やはり、すぐにでも変えることができるのは自分の考え方、現実に対するとらえ方なのだとして、一見悪い状況も積極的にリフレーミングをして自分自身を鼓舞することができるようになりたいと考えています。
そのためにも、リフレーミングをするためのトレーニングをこれからも積んでいきたいと思います。
とはいえ、それでも心が折れそうになることは多々ありますが、この辺りは単純に経験値が足りないのだと自分に言い聞かせています。
その上で、自分自身を本格的に到達したい目標のために変化を恐れずに変革していくという強い気持ちを持って生きていくことができたらそれが私にとっての理想の人生なのかもしれないと考えています。
新しいことに挑戦することは自分の中に抵抗感があったり、変化に対する恐れのような物がどうしても生じたりしがちですが、変化に対するストレスについてもある程度経験を積んでいけば慣れによる耐性がついてくるのではないかなと考えるところでもあります。
そして、根本的に自分で自分の運命を切り開きたいと考えたときに絶対に必要になるのは、自分が持っている、経営資源のようなもの、資産、資本でしょう。
具体的には、稼ぐ力である人的資本を基軸として、自由度を高める金融資本、そして、人脈を主にする社会資本を最大化させるための努力というのが求められると考えられます。
そして、これらの資本を最大化させるというゲームを行う事こそが人生だと考えている人もいますが、個人的にはもっと先があるのではないか、と考えています。
すなわち、自分の持つ資本を最大化させた上で、その資本を用いて一体何をするのか、ということも同時に考える必要があると考えています。
一体何をするのか、という書き方をするとどうしても固い印象がぬぐえませんが、端的に言えば、「どんな夢を叶えたいのか」ということだと思います。
子供の頃に色んな夢を持っていた気がしますが、私はそれを既に忘れています。
もっとも、子供の頃に浮かんだ夢というのは、子供の頃に持っていた知識をもとに考えていた物なので、おそらく、大した夢では無かったのだと思います。
したがって、改めて最大化させた資本を手にしたその先に一体どんな夢を叶えようとしているのか、というより上位の目的を常に持って生きていくことができたら良いな、と考えています。
資本を最大化させるための努力はゲーム性があって非常に楽しいので、ついつい油断するとそれだけに熱中しがちですが、その先に何があるのか、という視点でもものを考えていく必要があると思います。
そして、夢というのは自分の資産が最大化していく過程において常にアップデートされていくというのも良いかもしれないと考えています。
すなわち、今叶えることができる夢と、経営資源が足りずに現時点では叶えようがない夢というのがあるはずなので、これは人生の段階に応じてどうするのか、その都度考えていくのが良いのかなと。
自らの運命を努力によって自分で切り開き、自分が胸に抱く夢を自分の生涯を通して叶え続けることが自分の自己実現ならびに幸福感に直結するのではないでしょうか。
この幸福を追求するためにも、現状の悪いところにばかり目を奪われていないで、少しずつでも良いので、経営資源を、資本を蓄積し続けようとする姿勢が人生を通して保ち続けることになるでしょうか。
そう考えると、人生には双六で言う「あがり」のようなものは実はないのかもしれません。
私は経済的自由を達成することが、人生ゲームのメインシナリオのラスボスを倒すことというようなとらえ方をしていましたが、その先のやりこみ要素を楽しみ尽くすことこそが人生の楽しみなのかもしれないですね。
自分で運命を切り開くことができるということは、いくつも頭の中に思い浮かんできた夢を何度も何度も人生の中で叶えるための努力をすることに対して決して諦めず妥協しない姿勢が前提になるのかもしれません。
テクニカルな話としてはメタアウトカムを自分で用意し続ける、自分で人生ゲームのやりこみ要素を設定し続けるという事になると思います。
因みに、メタアウトカムというのは以下のような意味です。
「メタ(meta)」とはギリシャ語で「超える」「高次の」という意味をもっています。
NLPにおいて「アウトカム」とは、適格な形に整えられた目標、ゴールのことです。
すなわちメタアウトカムとは、「アウトカム(目標、ゴール)を超えた先にある」「高次のアウトカム」ということができます。
https://life-and-mind.com/meta-outcome-21887
とはいえ、いわゆる堅実な人生を送っていればいるほど、頭が固くなりがちです。
頭が固くなっていると、このメタアウトカムについてそもそも何も思いつかないという状況になりがちかもしれません。
このあたりは夢は見る物ではなく、夢は現実の物とするのだと強い意志を持って、頭を少しずつほぐしていく必要がありそうです。
私も無難な目標ばかり立てがちな癖があるので、もっとわがままな発想になっても良いのではないか、と考えるときがあります。
こうして見ると、課題は山積みですが、本当に少しずつでも良いので毎日のように人生を前進させていきたいと感じます。