私は基本的に本などを読むことが多いのですが、
何故そんなことをするかというと、
「これ以上頭が悪くなるのは嫌だ」
という漠然とした考えが常にあるからという理由があります。
頭がいいとか頭が悪いとかいう話はどうしても「それってどういう定義なんですか?」という話をしなくてはいけないので基本的に立ち入りにくいですし、実際定義にまつわる展開はしないのですが、
しかし、漠然と、認知能力、思考能力などが落ちていくと知的な活動はほとんどできなくなってしまうので、それが怖かったりします。
典型的な話としては
認知症になってしまった場合、
というのがあるかもしれませんが、
そこまで行かなくとも、
ちょっと鬱になってしまった
とか、
発想の視野が狭くなってしまった
という状況ですと客観的に見ても変な判断を下しやすくなります。
また、もっと軽度な症状では、室温が低すぎて何も考える気になれなかったり、やたらと不安な気持ちになってしまうこともあります。
特に冬は怖いので注意が必要です。
また、過度なダイエットなどをしている人の場合、エネルギーが足りなさすぎてまともに思考能力が発揮できない場合もありますね。
他にも、睡眠時間が短すぎたり、徹夜しすぎると二日酔いと同じレベルまで認知能力が下がるようです。
いわゆる、
「頭がいい人」「頭が悪い人」
といったその人を形容する言葉がありますが、
実際には、同じ人間であっても、上記のようにその人の状況や周辺環境によってその認知能力や思考能力というのは変わってきます。
したがって、一人の人間であっても、
「頭がいい状態」
と
「頭が悪い状態」
の間でのグラデーションが少なからずあります。
一人の人間の人生の中でも、
一時期はすごく才能を発揮していたのに、最近は落ちぶれているだとか、
逆に、当初は大して目立たなかったのに、最近はすごく才能を発揮している
などといった展開があるのも、
「頭がいい状態」と「頭が悪い状態」の間で絶えずステータスが変わっているからといった原因もあり得そうですね。
そして、可能ならば、自分の中で比較的「頭が悪い状態」を避けて「頭が良い状態」を維持したいと考えています。
そう考えると、
自分が頭が悪くなりやすい状況とは何か
あるいは、
自分が頭が良くなりやすい状況とは何か
ということを考えざるを得ません。
おそらくですが、いわゆる「頭が良い人」と恒常的に言われるような人は、上記を把握した上で、「頭が悪い状態」をできる限り避けて「頭が良い状態」をできる限り長い時間維持できているが故に、結果的に「頭が良い人」と周りから呼ばれやすくなっているのかもしれないと私は考えています。
このような分析を可能にするためにも、自分の周辺状況と認知能力などの関係を示すパーソナルデータを普段から意識的に集めたいところです。