結婚について時折考えることがあります。
そもそもする気になれるのか、気になれるのであればどのような相手が良いのかなと。
もっとも、女性の場合、まだ結婚に伴い名字を変えるべきという社会的通念は残っていることも考えると、自分の名前が変わってしまう可能性について事前に思いをはせることもあるのだろうと思います。
自分の名字に愛着が全くない人ならば気にしないのかもしれませんが、仮に珍しい名字だったりとか、その名字によって呼ばれることによってその人のアイデンティティが形成されていると言うことなのであれば、相手の男性に合わせる必要性に迫られる意味が分からないと思うこともあるのかもしれません。
私の場合も、他人から「良い名字だね。結婚して名字を変える必要があるとかいう話になったらもったいないかも」というようなことも言われたりします。
そのように名字を変えないといけない、となった場合その人がそれまで使っていた名前で残した功績とかはどうなるのだろう、認知されにくくなってしまうのではないかと考えると夫婦別姓関係の問題提起というのは重要なことなのだと感じます。
とはいえ、このように考えていくと、そもそも・・・・・・と考え始め、
何故、自分の名前は自分で決められず親から命名されたものになってしまうのだろうか、何故名字も最初から決まってしまっているのだろうかという疑問が出てきます。
現状、家庭裁判所で名前を変えることは可能ではあるものの、客観的に命名に問題があるとかそのような場合でないと変えるのは厳しいようです。原則は変えることはできないという考え方のようです。
自分の親が決めた自分の名前について、全然ダメ、というつもりはないのですが、
それでも、私のように、自分の意思で自分の人生を切り開きたいと考えている人にとっては、名前そのものを他人の意思によって定められてしまうことそのものに違和感を感じざるを得ません。
もちろん、内心、自分で自分の名前を決めた方がより私らしさを出せる、センスの良い物ができるはずと考えている、命名に自信がある、という面もあります。
このように、考えていくと、ネット上のハンドルネーム、ペンネームというのは自分の名前を自由に決めて名乗ることができるのでとても良いと感じています。
ビジネス上の名称、ビジネスネームを使用している例もあるようで、本名とは異なる、もう一つの名前を使用している人もいるようですね。
制度があるため、現実問題としては、自分の名前を自分で決めることができないという点は、なかなか乗り越えることが難しいかもしれませんが、しかし、このようなもう一つの名前を自分独自に持つことで、自分のアイデンティティを自らの意思で確立していくと言った行動は自分の人生や運命を自分で切り開いていくといった観点から非常に重要なことであると考えています。
人によっては、本名で活動している姿は飽くまでも世を忍ぶ仮に姿に過ぎず、もう一つの名前で活動をしているときこそが、その人の個性が発揮されているときなのかもしれませんね。
このように考えていくと、自分らしい人生を歩もうと考えた際に大事になるのは、やはり、自分のアイデンティティを付与するラベル、自分が編み出した、もう一つの名前なのかもしれません。
今特に、すぐに何かを活動しようとしていない人であっても、もう一つの名前で本格的に名乗りを上げようと頭の片隅で考えるのも良いかもしれません。