親や親族のために親孝行をしている方もいるようです
それ自体については私は止めないですし良いことだと思っています。
しかし、親孝行というのは基本的にはボランティア活動、すなわち自発的な活動です。
日本では治験などのように有償のボランティアも存在するようですが、基本的にはボランティアといえば無償のものであると考えられているようです。
そして、当然ですが無償で親孝行なるものをする場合、その場におけるリターンは期待できません。
理屈としては今まで親に何かを与えられてきたということに対する感謝の気持ちとして親孝行なる活動をすることになるでしょう。
ところで、親孝行と聞いた場合に具体的に何をするでしょうか?
お金の仕送りでしょうか?
それとも何かの物を与えることでしょうか?
年に何回も帰省することでしょうか?
これらの行為は自分の時間や、自分の物や、自分の持っているお金を犠牲にする行為です。
年に1回などの頻度だったら問題はほとんどないでしょう。
しかし、例えば
「介護が必要になったから毎日面倒を見てほしいし、お金も出して欲しい」
「毎日寂しいから電話に出てほしい」
「あなたは稼いでいるのだから、毎月仕送りを月20万円ほど送ってほしい」
「1ヶ月に一回は帰省して欲しい」
などと言われたらどうでしょうか?
人によっては結構きつくなってくるのではないでしょうか?
私はこれらの要求は過度なものとして全て断ることにしています。
何故ならば、私にとって、自分の時間や、自分の物や、自分のお金というのは有限な物であることから、投下資本分を回収できる見込みのないところに集中的に投下することはできないからです。
自分の親という、年齢的にみても将来性が少なくとも私よりもない人に自分の時間や、自分の物や、自分のお金を与えるよりも、他の人間に少しずつ与えた方が社会的にみても自分目線で見ても明らかに効率がいいです。
何故ならば、他の人との人間関係の構築をしておいた方が後々助けてもらえる可能性も高まるので、そのような可能性がある以上、親孝行と称してそのような機会を損失する方が生存戦略上遥かに危ないからです。
積極的に投資するべきはやはり私よりも若くて将来性のある人物にするべきでしょう。
具体的には自分の子供とかもここには含まれます。
したがって、親孝行と称して自分の時間や、物やお金を無闇に与えるのは辞めるべきだと私は考えています。
しかも、与えまくって親から多大な感謝をされるのかと思いきや残念ながらそんなことはありません。
人間というのは慣れてしまう生き物なのです。
例えば、介護のために30年間近く親と同居して身の回りの世話もしてお金も毎月のように出してあげたとしましょうか。
その後、急に
「私はやっぱり夢を追いたくなったからこんな田舎にいたくない、東京に行く」
などと子供に言われたら親はどう思うでしょうか?
どうして!?なんて冷たいの!!!
となると思います。
何故ならその親にとってその子供がずっとそばで自分の面倒を見てくれたりお金を出してくれたりすることがもはや当たり前となってしまっていることから、急にそれが失われることによって損した感が強く出るためです。
行動経済学でも、プロスペクト理論と言って、得をした時よりも損をしたときの方が人間は過剰に反応するようにできていると言われています。
例えば、前年の年収が900万円だったところから1000万円まで上がったときの喜びよりも、
1000万円から900万円まで年収が下がってしまった悲しみの方が強く記憶に残ります。
このように、比較によって人間は損得の感覚を得てしまうため、比較をするための参照点が上がってしまうと不幸になりやすいです。
これは一度生活水準を上げてしまうと、生活水準を下げてしまうことに対して痛みを感じやすいという話にもつながりやすいと思います。
「これが普通」という感覚、すなわち、参照点をあげすぎないようにするべきでしょう。
これは自分に対してやるだけではなく、自分以外の他人に対しても上手くやるべきです。
例えば、仕事をする際にも、「今月26日ぐらいには納品できる見通しです」と伝えておいて、実際は23日ぐらいに納品すると心証が良くなります。
逆に、28日に納品してしまうとかなり印象が悪くなります。
これは、参照点が26日になるものとして相手は受け取っており、「26日には来るだろう」という期待を与えているのです。
これは人によっては、期待値コントロールと呼んでいるようですが、これをうまくやると評価も下がりにくくなります。
これを、親に対しても行うべきだと私は考えています。
すなわち、基本的に自分の時間や自分の物や自分のお金を親に与えないという方針を決めてしまって、親に期待を抱かせないようにする必要があります。
私は親に対して、自分のことは自分でやってねとあらかじめ伝えてあります。
仕送りは当然しないと伝えてあります。
帰省は最小限にしています。
全ては、
「この人は頼めば時間や物やお金を私に出してくれる人だ」
という期待を全く抱かせないためです。
そんなことを言い出すと、なんて冷たい人だと思われるかもしれません。
しかし、自分にとって有限な資源、特に時間についてはシビアに考えるべきだと私は考えています。
逆に言えば、有限性のさほどない資源についてはそれなりに提供しても構わないと考えています。
それは何かといえば知識、知恵、情報です。
これらはやり方によっては時間を大幅に短縮させつつ、多数の相手に価値を提供することができます。
ブログにお役立ち情報を書いておいたり、
動画を作っておいたり、
録音しておいたり、
という手段になるでしょう。
このように、レバレッジをかけることができる手段で相手に価値を提供することができないかどうか予め検討しておくのが重要です。
仏教でも、物施ではなく法施をした方が良いと言われています。
その場で消費されて消えてしまうものよりも、そこからさらに他人に伝わって役立てることができる知恵などを与えた方がより多くの人を助けることができるという考え方のようです。
また、恩送りという言葉もあります。
恩返しと称して面倒を見てくれた相手に直接お返しをするのではなく、他の人に恩を送る方が良いという話です。
親孝行をすることは良いことであるとか、やった方が良いと考えるのも良いですが、
しかし、それは思い込みにそもそもすぎず、しかも親の要望にそのまま答えるのがお互いにとって最も良い結果をもたらしてくれるとは限らないのです。
限りある資源を無駄にせずに、適切に活用することができる方法はきっとあることでしょう。
それを真剣に考えることが多くの人にとっての幸せのためにも重要ではないでしょうか?