私の基本的な考え方は、「いきなり勤め先の所属先と仕事を変えることはリスクがあるため、できるだけ少しずつシフトしたい」という辺りです。
ここで、「所属先と仕事」という表現を用いたのには勿論意図があります。
所属先というのはもちろんいわゆる勤め先です。例えば、「●●株式会社」などです。
そして、仕事というのは具体的なタスクを指しています。例えば、「●時までに●という資料を作成する」などの具体的な仕事です。
いわゆる、転職という行動というのはこの「所属先と仕事」を両方同時に変えてしまう行為です。
所属先が変わることで面倒な事務手続きなどが待っており面倒ですし、人間関係も変更を余儀なくされます。
その上で、具体的な仕事の内容も転職先でも変更されることになります。
要するに、私たちの人生の大部分を時間的に拘束する、仕事という要素において、転職という行為を行う事でそのほとんどの要素を変更してしまうわけですから、その人の人生の大部分について大改革を行うのと同じ行為です。
人間は急激な変化に対応することは可能ですが、それに対する強いストレスも感じやすい生き物ですし、抵抗も感じやすい生き物です。
その転職という行為が確実に良いものであるという保証があれば全く問題が無いのですが、そうであるとは言い切れません。
何事も「こんなはずではなかった」「想定と違っていた」ということに直面する可能性があるため、例えば友達の転職が大成功であったとしてもそれは直ちに自分の転職にはあてはまらないのです。
このような意味で一般的に転職という行為は引っ越しを遙かに上回るレベルのストレスを伴う行為、リスクのある行為ではないか、と私は考えています。
もちろん、これは明らかにブラック企業に勤めている人に対して「安易に転職はしない方が良いです」というようなことを言いたいわけではありません。
むしろ、明らかにブラック企業であり、明らかにその環境が自分にとって有害であると確信を持って言える状態であれば、さっさと退職してしまった方が良いと思います。
問題は、そこまでの感覚に陥っていない人です。
おそらく大企業などに多いと思われますが、「何かが足りない」とか、「あとちょっと変わってくれたら良いのに」ぐらいの微妙な気持ちでいる人は意外といるのではないでしょうか。
待遇は悪くはないけれども、ここでの仕事は自分にとっての天職とは言いがたいのではないかという微妙な気持ちです。
これは要するに、「所属先は変えたくないけれども、実際に行っている具体的な仕事が変わってくれたらいいのに」という気持ちなのかもしれません。
この場合、「所属先と仕事」が同時に変わってしまう転職という手段はとらない方が無難ということになりそうです。
具体的には、部署の異動をしてみたり、副業をしてみたりという試みの方が問題解決の手段として適切かもしれません。
たまに、副業の方にしか熱が入らない、すなわち副業こそがその人にとっての天職となってしまう場合もあると思います。
その状況において、所属先は特に変わらず、勤め先の微妙だと感じてしまう仕事も極限に減らしていた場合、「転職をすることなく天職に転職してしまっている」ということになるのではないでしょうか。
勤め先における仕事が極限まで減らされて、いわゆる窓際社員となってしまった場合は本当に事実上転職してしまっている状態になっているのかもしれません。
現実的には何らかの仕事を勤め先においてしている人が大半だとは思われますが、このような発想で、勤め先の待遇に大きな不満がなくとも、その仕事がつまらなくて仕方が無いときには、少しずつ自分にとっての天職を探しつつ、事実上転職してしまう方法がないかどうか模索するのもアリではないか、むしろ一番リスクが低いのではないかと私は考えています。
もちろん、前提として「自分の中で今の勤め先にどのような不満を持っているのか」という点を分析した上で、要素を分解して対処することになります。
「仕事を辞めたい」という気持ちになって追い込まれると、人はいきなり退職したり転職するなどの極端な行動で問題解決を図りがちですが、それが果たして本当に自分にとって適切な手段なのかと冷静に考えて具体的な不満点を洗い出し、できる限りリスクを最小限にして対応策を考えることが重要ではないでしょうか。