アドレスホッパーという生き方があるようですね。
最低限の持ち物だけを持って定住せずに住処を変えていく生き方のようです。
住民票とかどうするんだろうか、とか、子供がいたらどうなるんだろうか、とか、色々考えてしまいますね。
アドレスホッパーとは究極的な非定住型の生き方になると思いますが、そこと定住生活との間にはかなりグラデーションがありそうです。
一番典型的な定住生活と言ったら、一生実家暮らしをしつつも、引っ越しをする余力が残っていない人たちでしょうか。
地元にいないと仕事がないなどの理由で地元から事実上出ることができない人もここに当たりそうです。
後考えられるのは、農家など、特定の土地から離れてしまうと仕事がしようが無い人たちもこのような類型に当たるのかもしれません。
人類の歴史を見ていても、狩猟時代には遊牧民のごとく住処を転々と移動するのが当たり前だったのに、稲作などの農耕が始まると、定住生活をする流れがあるようです。その場所にいないと富が手に入らないわけですね。
農耕をする場合、自分が消費するために生産することもあれば、商品として他人に売りつけることで対価としての富、例えば貨幣などと交換するわけですが、そもそもその場にいなければその人は貨幣を受け取ることができません。
現代においては、この点は非常に便利になっています。すなわち、貨幣、すなわち現金を渡す代わりに指定した銀行口座に振り込むという手続きを行えば、作物の所有者はその場にいなくても銀行に対する預金債権という形で富を手に入れることができます。
債権というのは目に見えません。しかも、手で持つこともできません。現金も人類の発展の過程で少ない容積でかつ保存可能な価値としてこれまで重宝されてきましたが、債権というのは容積がほぼゼロで、保管をするための財布も必要なければ、金庫を用意する必要もありません。
これはすなわち、銀行に対する預金債権という形の容積がなく「持ち運びが容易な形態の富」が蓄積されているのだと思います。
私たちが、銀行口座の額が増えていって嬉しく思っているのも、厳密には銀行に対する預金債権の金額が数字上増えているだけなのですが、この預金債権の性質上いつでも引き出せるという社会通念があるからこそ、手元のお金が増えていっているという気分になれるわけですね。実際に引き出すことができるのですからこの感覚はおおよそは間違っていないと思います。
危機があるとしたら、預金先の銀行がつぶれてしまったときでしょう。しかし、そのような場合でもペイオフの制度があるので、一定金額までは富の蓄積が保証されるという仕組みまでできているわけです。
このように、富をいつでも適切なタイミングでいつでもどこでも引き出せたり、取り寄せたりすることができるようになると、事実上、容積のある財産、商品が債権のような物になるのだと思います。
そして、このような富の債権への転化を身の回りでの生活でできる範囲が増えれば増えるほど、身軽な生き方、非定住型生活が容易になるのではないか、と私は考えています。
賃貸物件なども、そこに住んでいる人はその物件を所有しているわけではありません。賃貸借契約によってその物件に住むことができる権利を所有者と取引をして手に入れているわけです。
賃貸借契約ですから、引っ越したくなったら賃借人側からはおおよそ好きなタイミングで解約して、次の住処に移ることが可能です。
これで持ち家だった場合、住処を変えるのは結構大変かもしれません。ローンを何度も組める人は大丈夫なのですが、不動産は基本的に安い買い物ではないため、金銭に余裕のある人しか持ち家を買って転々とすることは難しいでしょう。
定住生活でもその場にいることで幸せを感じることができるのであれば全然問題は無く、むしろ望ましいことではあるのですが、人間は何かしらの刺激も求める生き物でもあるので、定住生活を自己の意思に反して強いられるようになるのは望ましくないと思われます。
もっとも、なんだかんだで安心できる拠点が欲しいという心理も同時にあります。
アドレスホッパーの人たちのインタビューを見ていても、なんだかんだで実家に住民票を置くなどしているので安定した基盤が背後にありつつ非定住生活を楽しんでいるようですね。
多額の預金債権や、いつでもどこでも稼ぐことができる力という、「持ち運びが容易な富」を大量に持っている人は、このような生き方がしやすいですね。
これまでは所有権を得ることこそが富をえることのような風潮がありましたが、最近はシェアエコノミーの影響もあり、「持ち運びが容易な富」を大量に蓄積することが可能になったという視点で、世の中の動向を見ていくのも面白いのではないかなと考えました。
そして、究極的な「持ち運びが容易な富」というのは、自分自身であると思われるので、この意味でも自己投資は重要だなと改めて感じました。
『LIFE SHIFT』にいう変身資産も、「持ち運びが容易な富」の蓄積量との関係でとらえることができそうです。
このあたりはまだまだ考えがまとまっていないのでまた考えたいと思います。