世の中にはプロフェッショナルと言われている人たちがいます。
特に○○先生と呼ばれるような職業の人たちに多いです。
プロフェッショナルと呼ばれている人たちのおおよその傾向としては、仕事に対して大変熱心に取り組んでいるということが挙げられます。
どちらかというと、多くのプロフェッショナルは自分の生活と仕事を混同していると言えるのではないかと思うレベルに仕事に対して情熱を傾けています。
この情熱のレベルというのは非常に高く、土日であろうと、休日であろうとお構いなしにクライアントからの期待に応えるべく全力で頑張ろうという気概がある人が多いです。
最近は働き方改革が進んでいるということもあって、
「土日はしっかりと休みたい」
だとか
「祝日もしっかり休みたい」
だとか
「残業はやりたくない」
とかそういった動きが進んでいます。
さらに言えば育児休暇等のサポートなども企業側には期待されているようです。
ただプロフェッショナルの人達はこのような動きに完全に逆行しており、どちらかと言えば土日も働きたいだとか祝日も働きたいだとか、有給はそんなになくとも構わない、といった感覚の人たちが多いです。
彼らの感覚としては、ワークライフバランスをあまり重視していないどころか、ワークアズライフと言えるべき状態の人もいます。
このようにプロフェッショナルの人たちの感覚というのは通常のサラリーマンの人たちを始めとするそれとはかなり違っています。
正直言うと、勤め人から見ると、
「なぜそこまでこの人は仕事をしているんだろう、どうしてそこまでやる気があるんだろう、意味がわからない」
といった目線で見られていることが多いようですね。
どうしてこのような大きなギャップが生まれてしまうのでしょうか?
ということを改めて考えていくと、
やはり
勤め人は自分の労働力を商品として勤め先に売っている一方、プロフェッショナルと言われる人たちは自分自身の個性やスキルを商品化してクライアントに売っているという大きな違い
があると思います。
労働力商品は多くの場合、代替が可能なものであって、あまり個性を有しておらず、むしろその人自身の個性を潰す方が勤め先にとって良いこととされるという傾向があります。
なぜなら、労働力商品を実際に使う勤め先からすると、労働者本人の個性を発揮してもらうと言うよりは自分の指揮命令下に入ってもらって基本的にはその指示通りに動いてもらったほうが都合が良い方が多いからですね。
もちろんこの辺は相対的なものなので、たとえ、勤め人という立場であっても、一定の専門性やプロフェッショナル性を認められている人というのはこの限りではなく、
むしろその人の個性を発揮してもらったほうが勤め先からしても嬉しいという場合もあったりもします。
このようにプロフェッショナルとしての仕事というのは、勤め人にとって仕事とは根本的に異なる、自分の個性をしっかりと発揮するような場所で仕事をしていることから、仕事そのものがその人のアイデンティティーや人生の充実、自己実現に貢献していると言えるでしょう。
だからこそ、プロフェッショナルと呼ばれる人というのは、
「自分がクライアントから一体何を求められているのか」
「クライアントにとって自分がどのように役に立つことができるのか」
というのを土日関係なく1年365日中考え続けており、そのぐらい仕事に対する情熱がある人が多いわけです。
このように土日を返上しても構わないというのレベルの情熱を持つことができた時その人にとっての天職、プロフェッショナルな仕事が決まるのではないかと私は考えています。
情熱が持てない職場でいつまでもつまらない仕事に付き合って働くというよりはその中で自分にとって良い「所を得られる」場所を探していくことが重要だということを改めて思うわけです。
生活のために仕方なく勤め先で働かざるをえないという状態にある人は、
「ちょっとそういう感覚は信じられない」
という感想を抱くかもしれません。
特に
勤め先から降ってくる仕事の内容が自分に合わない
とか、
嫌な仕事ばっかりが自分に回ってくる
という人は特にそう思うかもしれません。
「自分に合った天職が見つかるとはとてもではないが信じられない」
という感覚ですね。
多くの人はこのような理想と現実とのギャップに悩むのだと思います。
しかし、そのようなつらい状況の中でも、ふとしたタイミングで
「自分は一体どのような形で働きたいのか」
とか
「自分が本気でクライアントに対して尽くすことができるものは一体何なんだろうか」
ということを少しずつでもよいので考えていくと、
長い時間がかかってしまうかもしれませんが、自分のプロフェッショナル性を発揮できるようなものに関してヒントとなるような一筋の光が見えてくるのかもしれません。
もしかしたら、これは勤め人の状態で考えるよりも、実際にリタイアしてしまって無職になってから考え始めてみてもよいかもしれませんね。
むしろその方が仕事に忙殺されることなく、ゆっくりと
「自分は完全に働きたくないのか」
それとも
「自分に合う仕事だったら働いても構わないのか、それはどんな仕事なのか」
ということをゆっくりと考えることができると思います。
無職だと社会的体面は悪いかもしれませんが、その代わりゆっくりと物を考える時間を得ることができます。
多くの人は無職になることをかなり怖がりますが、経済的自由の達成度が高まればその分リスクは低くなります。
今の仕事に不満がある、しかし、自分が仕事をやりたいとはとても思えない、自分に合った仕事があるとは想像できない、という人はまずはこのような
「比較的リスク低く無職になれる権利」
を手に入れるために経済的自由の達成を目指してみてもよいと思っています。