経済的自由、FIRE、セミリタイアを目指す際の最初の大きな壁、目標になるのが金融資産1000万円の達成です。
何歳で金融資産1000万円を突破するのかがその後の経済的自由の達成の命運を占うことになります。
20代で金融資産1000万円を保有する人は稀少
インターネットの発達によって、優秀な人がまるで自分の身近にいるような錯覚を覚えることが多くなりました。
例によって、ググってみると20代の成功者たちがたくさん目につくのであたかもこれがスタンダードと思いがちですが実際にはそうではありません。
20代では1000万円どころか、200万円持っていれば御の字であり、これだけで上位50%に入ることができるというのが日本の現実でしょう。
私が25歳で金融資産1000万円を達成した際には周りの景色が少し違って見えたので以下そのことについて書きます。
単純に1000万円を超えたら達成感が生まれた
やはり、7桁よりも8桁の方がインパクトがあります。
桁が変わった瞬間に強い達成感を感じました。
たとえるならば、ゲームでレベル99からレベル100にあげた時のような達成感です。
昔、ポケモン金銀でバクフーンのレベルを100まで上げたときのことを思い出しました。懐かしい・・・・・・
また、私は日記を毎日書き続けていますが、それと同様の達成感も感じています。
資産形成、資産運用は進捗が数字に現れる達成感あるゲームのような存在です。
「必要なものにしか金銭を投じないという習慣」が既にできあがった
金融資産1000万円を超えた時点で「この調子でいけば次の2000万円も早めにいけるのではないか」と感じるようになりました。
しかし、よく考えると、2000万円というのは1000万円の2倍です。
投資をしないのであれば「2000万円の達成のためには0万円から1000万円までの道のりと同じくらいかかるのではないか」と感じても違和感は無いと思います。
しかし、私は金融資産1000万円を達成するまでの過程で、自分の生活を最適化してきているため、「必要なものにしか金銭を投じないという習慣」が既にできあがっています。
例え、コンビニにより道をしても、美味しそうなスナックを見かけても、それはもはや私を誘惑することなどできないのです。
美味しそうなパンが視界に入っても「でも、今いらないし」となってスルーできるのです。
これは地味ですが、すごいことだと思います。
おそらく金融資産1000万円を達成するまでの間に、自分の中で
「これは私にとって本当に必要なものだろうか」
「経済的自由の達成を先延ばしにしてでも、今これに対してお金を払うべきだろうか」
「今これをここで買うよりもより良い購入手段があるのではないだろうか」
という形で、購入行動について①必要性、②コストの許容性、③代替手段の有無の検討をその都度考え続けていたからこそ自然にできるようになったと思います。
無意識レベルでこのような判断ができるようになったからこそ、2000万円の達成も遠くない未来のものとして感じることができます。
このような節約、倹約マインドはキャッシュフローゲームという金融リテラシー教育用ゲームをやっていたからこそ磨かれてきたところもあると思います。
私が金融資産1000万円を達成した意義は単に有形資産としての金融資産を手に入れただけにとどまりません。
「お金の使い道に対する意思決定基準の設定及びこれに基づく判断」、無意識レベルで使用できるこの能力こそが私自身に一生もののスキルとして備わったのです。
これは相続や宝くじで、苦労を伴わずに大金を手に入れた人には簡単に手にすることができない能力です。
お金を自分の手で管理するだけの器の大きさを手に入れたのだと実感できました。
貨幣経済が浸透した社会ではお金の使い方こそがその人を表します。
お金の使い方を見ればその人がどういう人なのかがおおよそ分かってしまうのです。
以下のように、私はなるべく多くの貯蓄率を目指しています。
貯蓄率が高ければ高いほど、経済的自由への必要年数も減ります。以下では、貯蓄率10%~90%までそれぞれ必要年数の計算もしてみました。
いつでも買うことができるという心の余裕を手に入れた
金融資産1000万円を達成して心の余裕が手に入ったと思います。
あなたの周りには以下のようなことを言う人がいませんか?
「新車が欲しい、新築マンションが欲しい、でも、お金がかかるから頑張って買えるように貯めなきゃ」
このようなことを言う人の中に、「本当の意味で」新車や新築マンションが欲しいと思っている人はどれだけいるのでしょうか。
実際に、新車や新築マンションを貯蓄の末に買うことができたとしましょう。
その時の満足感はいつまで続くのでしょうか?
買った瞬間のみ幸福感、達成感を手に入れることはできますが、その気持ちよさは持続するのでしょうか?
その人が本当に欲しかったのは「豊かな人じゃないと買うことができない新車や新築マンションを手に入れることができるかっこいい自分自身」ではないでしょうか?
いつでも新車や新築マンションを買うことができる人は、意味も無くこれらを買わないと思います。
なぜなら、いつでも買えるだけの資産を持っている状況がある限り、事実上新車や新築マンションをいつでも市場から調達できるため、あたかも既にこれらを保有している気になっているのではないでしょうか。
私自身も金融資産1000万円を達成した時点で、少額のものであればいつでも購入することができるような感覚になったので、いつでも手に入れることができるという地位を有したような感覚になっており、心の余裕が生まれたと思います。
また、生活防衛資金も十分にあるので、その影響で心の余裕が保てているのかもしれません。
金融資産1000万円は通過点に過ぎない
そうはいっても、1000万円で買うことができるものはまだまだ限られているというのも事実です。
富裕層にもはるかに及ばないのもまた事実です。
ささやかな「自由の欠片」を手にしているに過ぎないともいえるでしょう。
塵も積もれば・・・・・・と考えてこれからも金融資産という「自由の欠片」を着実に集めていきたいと考えています。
ささやかながら、私が経済的自由を達成して手に入れたいと考えているものを手に入れる道筋が見えてきているような気がするのです。