私がYouTube動画などに上げられているゲームのプレイ動画を見ていると、
「これは『魅せるプレイ』だ」
と感じてついつい見入ってしまうことがあります。
例えば、私は「ロックマンエグゼシリーズ」といわれるゲームを主に小学生・中学生の頃に自分でプレイして楽しんでいました。
このようにそこそこ前に発売されたゲームであっても、動画サイトにおいては攻略動画や実況プレイ動画などがアップロードされています。
また、いわゆる『縛りプレイ』で実況を行っている人もいます。
最近見た動画の中には、
ロックマンエグゼにおけるボスの撃破集ともいえるプレイ動画が上げられていました↓
このゲームをやったことがない人は、動画を見ても正直何が起こっているのかよくわからない点もあると思います。
逆に、このゲームをプレイしたことがある人はこのようなプレイ動画を見て、
「相手の動きを研究し尽くしている、完全に見切っている」
「ゲームのバグを最大限利用している」
「動きに無駄がなさすぎる」
「ほとんどの人が着目していない武器もフル活用している」
「しれっと難しいコマンドを難なく成功させて、大技を繰り出している」
「何が起こっているのかよくわからないがとにかくすごいということだけはわかる」
と感じて、そのあまりの
芸術性の高さ
に魅了させられます。
このようなゲームの『魅せるプレイ』というのは、そのゲームの性質やバグなども含めて研究に研究を重ねたうえでプレイングすなわち実際の操作も訓練の上で高いレベルで行えて初めてなし得るものでもあります。
このような下積みがあってこそ、そのプレイ自体がその人の作品集のようになっているのですね。
そして、このような下積みというのはこのゲームに対する強い愛着があってこそ楽しんでここまでできるのだろうと感じるのです。
そして、この話はゲームの中の話だけに過ぎず、私たちの実生活においても同じことが言えるのではないか?と考えています。
すなわち、ほとんどの人がやろうとも思わなかった生き方に挑戦・試行錯誤し続けて、人並外れた結果を出している人を見ると私たちはその人のやっていることを見て、その人の人生そのものに魅了されることがあるのだと思うのです。
例えば、みんなが通っているであろう高校に敢えて通わずにその時間に代わりに違うことをやって、人並外れた結果を出している人は端から見ていて
「この人面白いな」
と感じるのではないでしょうか?
しかも、なかなか普通の人が簡単にできないことを研究し、試行錯誤の上で難なくできるようになるとそれはまるで魔法のようなプレイングに映ります。
何らかの逸脱した結果を人生において残している人は、安定した人生を送っている人よりも何らかのリスクを取らざるを得ませんが、しかし、そのような人生に挑戦していること自体が他者にとっての『魅せるプレイ』となっていることもあるようです。
もちろん、上手くいかずに結果的に『魅せるプレイ』ができないという場合もあるかもしれません。
しかし、このような高い芸術性を目指していろいろな試行錯誤を続けること自体、そもそも多くの人が行えていないと思われるため、どこかで当たると面白い人生を送ることができるかもしれない、ということを頭の隅に置いておいてもよいのではないか、と感じます。