最近、片付け、整理整頓についてどんどん進めて行っています。
やっていて思ったのは、
片付けというのにも、適切な目標設定が必要である、ということです。
片付けというと、
「なんとなく他人を不快にさせないレベルに綺麗に見えればいいかな」
と考えがちですが、
これだと続かないと思います。
まず、大事なのは、片付けをする明確な目的を認識することです。
私の場合は、仕事机などをスッキリさせることで、頭の中のワーキングメモリを増やし、
増えたワーキングメモリを活用してさらに仕事の効率を上げたり、勉強に集中しやすい環境を自ら構築することになります。
これはさらなる、勉強の機会を得るための適切な環境を得ることが自分の知識を増やすことによって、ゆくゆくは自分の資産を最大化させるというより大きな目標に資する可能性が高いと思っているからです。
そして、このビジョン、定性的な目的のために必要になるのは、より定量的な、具体的な目標設定です。
具体的な目標設定というのは、「いつ」「なにが」「どのような状態になっているのか」
というのが明確である必要があります。
明確でなければ、定期的な観測とモニタリングができないのでこれを設定することは必須です。
私の場合、上記の目的を果たすためには、次の日にワーキングメモリを残さずにその日の仕事に集中する必要があることから、
仕事机においては、「退勤時に」「床と机の上に」「パソコンとキーボードとマウス以外なにも置かないようにする」
という目標設定を行いました。
なぜこのような発想になったかというと、私が学生の頃に
「そろそろ試験勉強をしないといけない」
と思いつつ、
「その前に机の周辺が気になったから、取り敢えず片付けないといけないな」
と考えて片付けをし始めて、
片付けをしているだけで、片付けを行ったという事実に満足してしまい、
「まあ、試験勉強は今度でいいかな」
と考えて結局試験勉強を行ってこなかったという過去があったからです。
おそらく心当たりがある人もいるのかもしれません。
たまに「机の上が汚くても仕事ができる人はいる」などと言われたりしますが、
少なくとも上記のような試験前の行動に出たことの記憶がある人は、「机の上が汚くても仕事ができる人」ではない可能性が高いです。
何故なら、試験勉強をするために特に気合を入れてことに当たろうとしたときに、
「取り敢えず片付けた方がいいかも」
と思っている場合は、本能的に片付けないと自分は試験勉強をしにくいという認識を持っている可能性が高いからです。
個人的には、「机の上が汚くても仕事ができる人」というのは、ベテランの人が多く、
このような人は「特に気合を入れなくても今までの経験から初学者には到底できないことも簡単に処理できるようになった仕事しか実はやっていない」可能性が高いと私は見ています。
私たちが初めて両輪をとった自転車に乗るためにはかなりの恐怖と学習のための気合が必要になったのにもかかわらず、できるようになってからは気合いなど全く必要とせず、スマホを片手にLINEしながらでも運転できるようになったという状況と一緒です。
簡単にできるようになってしまったのだから、当然ワーキングメモリを対して使わずにいられるので、机が汚くても全く問題ありません。
このようなベテランの人は、一見机が汚くても仕事ができる優秀な人に見えますが、同時に気合を必要とする新しいことに挑戦することはできないという状況に陥っている可能性もあるのではないでしょうか。
他の人の書籍の中で「机が汚くても仕事ができる人というのはすでにピークが過ぎてしまっており、これから落ちていく可能性が高い。実際にそこからさらに飛躍した人は見たことがない」と指摘されています。
最近は人生100年時代と言われ、年齢を経ても新しいことに挑戦することや勉強することがものすごく大事になってきています。
そのため、新しいことに挑戦するための気合やワーキングメモリを保つことは必須になると私は考えています。
したがって、ワーキングメモリを常に維持するための片づけ、整理整頓はたまにやるのではまったく足りず、「常に」できるようになる必要があります。
そして、片付けが終わらない、掃除が進まない原因は、床や机の上につい物を置いてしまうという癖から出てきていると思います。
割れ窓理論と似ていますが、机の上に物が置いてあると、
「もうちょっとぐらい置いてもいいかも」
と思いがちであり、
物が物を呼ぶと言わんばかりにあっという間に汚くなります。
まったく隙を見せないレベルに物を置かないようにするという徹底的な姿勢が大事になります。
したがって、上記のように常に自分の環境を維持するための取り組みは気合を入れて意識したいと思います。
適切な環境を維持するためには金を惜しまない、重課金は当然という強い姿勢です。