社会的成功……
この言葉には何かとてつもなく惹かれるものがあると感じる人がいるかもしれません。
可能ならば社会的成功を収められたら嬉しい
と感じたり、
逆に、
いや、社会的成功などというものは大分昔に諦めてしまった、
と感じている人もいるかもしれません。
社会的成功という語句は何故か
「社会的」
という修飾語が「成功」という言葉にかかっています。
この辺りが、社会的成功というのが単なる成功とは異なると感じさせる部分です。
もしかしたら、成功だけするならば簡単にできるのかもしれません。
例えば、自分の中で
「今年は○○という目標を達成するぞ!」
という思いを胸にして、
そのための努力を重ねて、見事に目標を達成させることができたら、その人は成功したということはできるかもしれません。
しかし、多くの場合、個人的な目標を達成したのみを持ってそれを社会的成功と呼ぶことはありません。
「社会的」という修飾語がついていることからも、
自分以外の他者からも称賛される
とか
自分以外の他者からも認められる
といったニュアンスを感じますよね。
例えば、田舎の消防団のように、その地域の維持のために労働力の維持が必要な場合、その労働力を奉仕した人がその地域社会の役に立ったことをもって、
「あの人は非常によく地域のために働いてくれる」
と地域社会の住民から最大限の称賛をいただくことは可能でしょう。
そして、この場合、客観的に見て相当なブラック労働をしている場合であっても、その地域社会に対してその労働力を無償で奉仕している当の本人は非常に満足している場合もあるのです。
たとえ、金銭的な報酬が出なかったとしても、自分が地域社会の役に立っている、称賛されている、認められている、という社会的成功を収めたという実感があることによって満足している場合があるのですね。
このような社会的成功の例を見ていると「共同体(コミュニティー)に対する奉仕」によってこれは成るものとみることができると思います。
一方で、社会的成功を収められるどころか、社会不適合者と呼ばれる人もいます。
このような田舎の例で言えば、消防団に参加することを拒否したり、地域社会の伝統行事に非協力的だったり、そもそも病弱すぎて労働力を提供することが不可能といった形で「共同体(コミュニティー)に対する奉仕」を能力的にできなかったり、あるいは意図的に行わない人の場合、
社会的成功は「共同体(コミュニティー)に対する奉仕」によって成ることを考えると、その奉仕ができていないことによって、その地域社会という「社会」から認められないことから、社会不適合者としての烙印を押されてしまうわけですね。
おそらくこのような烙印を押された人はその社会で生きていくのに居心地の悪さを感じ、ストレスと感じていると思われます。
能力的に期待された奉仕ができない場合には、なおのこと自分の能力のなさに対して不甲斐ないという思いを抱くかもしれません。
その一方で、能力があるのにもかかわらず敢えて共同体に対して奉仕しないタイプの社会不適合者もいます。
例えば、その地域社会があと5年ほどで滅びるという予測が立った場合、いくらその地域社会に対して奉仕を重ねて、他者からの惜しみない称賛を浴びたとしても、奉仕に対する現実的なリターンが得られるのはそこから数えて5年間しかありません。
御恩と奉公という言葉があるように、奉仕をする以上はそれに見合うリターンが欲しいと考える人の場合、奉仕を重ねてもそれに対する報いがさほど期待できない場合、能力があったとしても奉仕をすることをやめてしまうことがあるのです。
もしかしたら、そのような人はよりリターンが見込めるより良い共同体に奉仕したいと考えているのかもしれませんね。
そして、その社会不適合者と呼ばれた人は、現実的に田舎から出て全く違う共同体に入ることによって、田舎とは全く別の共同体において社会的成功を収めるかもしれません。
このように、社会的成功は「共同体(コミュニティー)に対する奉仕」によって成ることから考えると、
①その共同体から期待された奉仕を行うことが自分が能力的に可能なのか?
という要素によってその共同体において社会的成功を収めることがそもそも可能なのか否かというのが決まりますし、
②その共同体に奉仕することよりも、より大きいリターンが見込める他の共同体が存在するのか?
という要素によって、現実的にその共同体に対して奉仕をするか否かの意思決定が行われているのだと考えられます。
この共同体というのは、田舎の地域社会に限らず、広くみると、
国
という枠でみることもできますし、
会社
という枠で見ることもできます。
今いる国を出て他の国に拠点を移している人や、今いる勤め先を退職して他の勤め先に転職して拠点を移している人もいます。
彼らは、おそらく
①その共同体から期待された奉仕を行うことが自分が能力的に可能なのか?
②その共同体に奉仕することよりも、より大きいリターンが見込める他の共同体が存在するのか?
という要素を考慮して判断を行い実際に行動を行っているのでしょう。
このように考えていくと、社会的成功を収めると一言で言っても、
どこで、どんな形で、社会的成功を収めるのか、
今の自分の目の前に存在する「社会」で社会的成功を収めることを目指すべきなのか?
あるいは、もっと別に存在する「社会」で社会的成功を収めることを目指すべきなのか?
ということをじっくり考えてみるのが良いでしょう。
そして、
「この共同体だったら自分は奉仕できる!!!」
と心の底から思えた時、そこで活躍することを目指すのが一番良いのだと思います。