「所得の再分配」
という言葉をご存知の方は多いでしょう。
厚生労働省のホームページでこの用語の解説もあります。
社会保障制度などを通じて、高所得者から低所得者へ所得の分配がされること。厚生年金では、現役時代の所得の違いほど年金額の違いは生じない仕組みにより、所得の再分配が機能している。
https://www.mhlw.go.jp/nenkinkenshou/glossary/sa/sa_syotoku_saibunpai.html
要は、
年収、所得の高い人からある程度のお金を吸い上げて、それを年収の低い人、低所得者に配分することを「所得の再分配」と呼んでいるようです。
日本では、租税制度、社会保障制度、労働保障制度等によってこの「所得の再分配」を進めているようです。
最近では、年収960万円以上の場合には児童手当が制限されるというのも話題になりました。
どうやら、
年収960万円を超えると、
高所得者である
という認識のようです。
その認識が正しいかはともかく
このような方法論で格差を是正しようとしているようですね。
例えば、年収200万円以上稼ぐことが難しいという世帯においてこのような所得の再分配が行われれば、それがないよりも生活はしやすくなるかもしれません。
しかし、どうしても気になってしまうのが、
いわゆる低所得者に対して所得の再分配をし続けるだけで何か根本的に問題は解決するのだろうか
ということです。
例えば、今あなたの目の前に空から100万円が降ってきて、それを自由に使用できるとしましょう。
このような状況で人がどのような判断をするのか、といえば一概に決まりません。
あなたは自由に使用できる100万円を何に使うでしょうか?
ある人は
ほぼ全額貯金に回す
かもしれませんし、
ある人は
株式に全額突っ込んで何もしない
かもしれませんし、
ある人は
パチンコに全額回すかもしれませんし、
ある人は
ずっと手にしたかったブランド物のバッグを購入するかもしれませんし、
ある人は
ずっと行きたかった世界旅行のために使用するかもしれませんし、
ある人は
来年確実にパスしたい勤め先の昇級試験のために万全を尽くすために参考書を購入するかもしれませんし、
ある人は
ちょっとプログラミングとか学んでみたいから、といって、ネット上で見つけたプログラミングスクールに100万円を投じるかもしれませんし、
ある人は
かねてより行きたかった留学の費用として使用するかもしれません。
使用用途は色々と考えられますね。
色々と考えられる中で、
その人の将来のために有効なお金の使い方もあれば、全く将来のためにはならないお金の使い方もあるでしょう。
例えば、低所得者の人が手に入れたお金を使用して勉強代などに使用すれば、上手くいけば、今より良い勤め先に転職できたりするなどして少しずつ所得が上がる可能性がありますが、
そのようなことをせずにパチンコに投じれば来年も同じ程度しか稼ぐことはできない可能性が高いでしょう。
一方で、もともと高所得者の人はどうやって自分自身が高所得者になったのかが身にしみてわかっている場合が多く、
さらに自分の所得を高めるために当然のように自己投資にお金を投じる可能性が高いと考えられます。
このようにお金を単純に分配すると、
より良いお金の使い方ができる人とそうではない人とで更なる格差が広がる可能性があります。
なぜなら、お金の使用用途を指定されていないからですね。
自分は何にお金を投じるのか?
という一見するとセンスの問題にしか見えないところで既に差が生まれてしまうわけです。
自分は何にお金を投じるのか?
ということについて何年もの間自問自答して、これについて研究し尽くしている人と、
自分は何にお金を投じるのか?
ということについて今まであまり考えてこなかった人とでは判断基準の確立の程度も大幅に異なることが予想されます。
この研究の程度によって、既にお金の使い方ひとつをとっても「能力・スキル」に差がついているのですね。
このような「能力・スキル」については所得の再分配の機能によってはフォローできていませんので、個々人で何らかの工夫が必要になります。
また、そもそも多くの場合、
高所得者はその高い所得を得るだけの「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」を既に有していることが多いのですが、
低所得者は「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」を保有していないがゆえにそのまま何もしていないと来年も、再来年も同じように低所得しか得られない可能性が高いのです。
「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」等がそもそもなければ所得が生み出されようがない、ということがあるため、
「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」が再分配されなければいけなさそうですが、
所得の分配を超えてそこまでの再分配をスムーズに行えるようにはなっていません。
所得というのは、植物で言うところの果実のようなものです。
所得の源泉である、豊かな土地の上に立っている立派な木々があってこそ豊かな果実が実るわけですね。
豊かに育った果実を収穫し、その果実自体を分け与えることはできますが、
その豊かな果実を実らせる能力それ自体を分け与えるのは困難です。
また、所得の場合は、
年収200万円
とか
年収1000万円
のように数字で表現できることから、分配も数学的に計算して行いやすいのですが、
「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」
については数値として可視化されていないこともあり、再分配が困難であると言えるでしょう。
したがって、
もしあなたが
「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」に何らかの不足があると感じているのであれば、
政府による再分配に期待するのではなく、
自ら
「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」を手に入れるための努力や行動を起こした方が良いかもしれません。
もっとも、「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」というのは大抵すぐに手に入るものではなく、時間をかけて少しずつ育てていくものであるという点がある意味難点でもあります。
しかし、既に「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」を手に入れている人は生まれによる差がありつつも少しずつ時間をかけてこれを育てている場合も多いです。
千里の道も一歩より
という言葉がありますが、
「所得の源泉である才能・能力・スキル・人脈」について少しずつ手に入れられるように地道に努力を続けていくとそのうち光が差してくると考えられます。