節約関連の記事を見ていると、
頻繁に出てくるのが
ラテマネー
という言葉です。
ラテマネーというのは、例えば、勤め人の場合には、朝通勤する途中にあるカフェなどにふらっと寄って、フラペチーノなどを購入してそれを飲むことを習慣としているような人を主に想定しているようです。
カフェにおいて払う代金は一見1000円も行かない程度の金額かもしれませんが、
しかし、その程度の代金であっても、それが毎日の習慣になっている場合は、
その行動が積み重なり、
一年間単位で見るとカフェ代だけで相当な金額になってしまっている、
よって、カフェになんとなく寄って、なんとなくフラペチーノなどを購入するといった行動はいつの間にか貯金できなくなっていく原因となっている、
ということを指摘しているのがラテマネーという言葉のようですね。
チリも積もれば山となる
という言葉のように、
1000円行かない程度のカフェ代を毎日のように支出していると、
年間ではかなりの支出となります。
したがって、そのようなことをするくらいならば、
美味しいカフェは一旦我慢して、
家から水筒などを持参することによって貯金をしやすくなりますよ、
ということを言っているわけですね。
このラテマネーという言葉を知って、自分の家計簿を見つめた人は
「思っていたよりも意味もなくカフェ代にお金が消えている!」
ということに気づいて、水筒持参に切り替えている人もいます。
しかしながら、このラテマネーという言葉やその意味を知ってもなお
あえてカフェ代を支払うことを継続する人も中には存在しています。
そのような人たちは、
カフェ代を美味しい飲み物を飲むための代金として認識しているのではなく、自分自身の集中力を購入するために払っている人たちです。
例えば、朝起きてから出勤するまでに朝活として自主的に勉強をしたい人などが敢えてカフェに行ってそこで集中して勉強していたりすることがあります。
人によっては環境の問題として家の中ではなかなか集中できない、どうしてもダラダラしまう癖が抜けないという人がおり、
そのような人は、勉強をするための場所を確保するためにカフェ代を支払っているわけです。
漫然と毎日カフェを購入している人にとっては、
美味しい飲み物
がサービス内容、すなわち使用価値になるわけですが、
朝のタイミングで集中して勉強するためにカフェ代を支払っている人というのは、
勉強をその時間において集中して取り組むための場所
を実は購入しており、それがその人にとってのサービス内容、すなわち使用価値となっています。
前者の人の場合、飲み物が確保できれば使用価値が代替できるため、
水筒持参
という手段でも水筒持参のための手間ひまなどを考慮せずに差し引いたとして、使用価値がさほど薄れることはなさそうですが、
後者の人の場合は集中力を得るための空間そのものを購入したいと考えていることから、
水筒持参という手段は代替手段にはなり得ません。
より適切な集中力を確保できる手段が存在しない限り
代替手段にはなりえないのですね。
それでも、一回1000円程度のカフェ代は高いと見ることもできるかもしれませんが、
早い段階における勉強によって将来の早い段階で投下したカフェ代をあっさりと回収して有り余るレベルの年収を手に入れることができる可能性があるのであれば、
その程度のカフェ代は気にならない、と考えることができるでしょう。
毎日1000円のカフェ代を支払うことで、毎日1000円を優に超えるだけの効用を得られるのだったら、
それは投資として十分に成功していると言えます。
このように、単に家計簿だけを見ると、お金が減っているように見えても、
減ったお金の金額以上の効用が回収できるのであれば、それは積極的にサービスにお金を使用した方が良いと考えられます。
大事なのは、
カフェ代を集中力の購入のために使用する人のように、
購入するものの使用価値、サービス内容を意識することでしょう。