「置かれた場所で咲きなさい」
という有名な言葉があります。
これは、
時に、言葉の使用者によっては、
「自分の置かれている環境で我慢しなさい」
と言われているように聞こえることがあります。
例えば、
職場の配属で不本意なところに飛ばされたとしても、
その場所は自分にとって意味があるのだから、そこでまずは全力で頑張りなさい
というタイプの激励の言葉のようにも聞こえるのですね。
どこか
我慢を奨励
するような言葉のようにも聞こえますし、
忍耐を強いられても仕方がない
という受け止められ方をされがちです。
しかし、個人的には、
あなたが真に咲けるところに行けるようになるまでは相応の努力がどうしても必要になる
というニュアンスも含まれているのではないか
とも思うのです。
例えば、生まれつき日本社会に馴染めない人が日本で生まれ、日本語でしか話せない場合、
かつ、その人が真に自分らしく活躍できそうな場所が海外であった場合、
その人にとっては、自分が咲くべき場所は日本という舞台ではなく海外という舞台かもしれません。
しかし仮にそうであっても、いきなり海外に行って大活躍できるようになるのかと言われればそのような奇跡がすぐに起こるとは限りません。
例えば、一定の外国語の語学力のレベルが要求されるかもしれませんし、
真に活躍できる場所に行くための一定の要件、例えば大学を卒業しているなどのハードルが要求される場合があるのです。
この場合、自分が真に活躍できる場所に行くためにその場所に行く前の段階である程度の努力が必要になる場合があります。
その段階では、自分にとって不本意、さほど活躍できない環境に身を置いてひたすら努力するしかないという場合があったりするのです。
この修行ともいえる期間、苦行ともいえる期間においては、
どうしても、
「生きづらい」
とか
「苦行に耐えるのがキツイ」
とか
「この環境は自分には合っていないかもしれない」
などと考えがちですし、実際に合っていないのかもしれません。
しかし、そのような微妙な環境に置かれてもなお、
あなたが咲ける場所をめげずに探し続けることが大事
だと考えられますし、
そのようなチャンスを掴むための準備を行うために、
たとえ、現段階ではそこまで合わない環境だと感じていたとしても、そのようなあなたが真に咲ける場所に行くためのハードルを越えるだけの力、実績、経験などをめげずに少しずつ積み上げていくことこそが重要になってくるのでしょう。
「置かれた場所で咲きなさい」
というのは、そういう意味で、
今ある環境においても最善の努力をしなさいという激励を行う言葉だと感じるのです。