「あの人はいつも頑張っているようだ」
「あの人はいつも仕事に熱心だ」
「あの人はいつも勉強に熱心だ」
「あの人はいつも自分の情熱に突き動かされていて、すごく活動的に見える」
そのようなことを他者に対して感じた時に、
「それに引き換え自分はどうしても頑張りたいと思えない……」
「本当はちゃんと勉強を頑張った方が良いということはわかっているんだけど」
「本当はちゃんとこの仕事を頑張った方が良いということはわかっているんだけど」
「でも、力が湧いてこない、やる気が出てこない」
とついつい自分と他人を比べてしまって落ち込んでしまう人がいます。
この手の人の中には、
「あの時はあれだけ必死に頑張れたのに、今は全くと言っていいほど頑張れない。おかしいな。どうしてこうなってしまったのか」
「あの時みたいに今も頑張っていればもっといいところまでいけるはずなのに何故?」
「本気を出せればあの時みたいにいけるはずなのに」
と過去のすごく頑張っていて輝いていたころの自分と比べてしまうこともあるようです。
そして、例えば勤め先で働いている人の場合
「これを今日中にやっておいて」
などといった仕事が降ってきた場合、
「まあ、気合を入れればできるんだけど、なんだかなあ」
「別にこれを自分はやりたいわけではないのだけど」
「なんで、あの人は仕事に対して頑張っているのに、自分はこんなにやる気が出てこないのだろうか」
「仕事をしているだけで異様に気力を奪われる気がしてならない」
というように、
頑張るべきだとは思っていてもどうもそこまで体がついてこない
という現象に苦しんでいる人もいるようです。
もちろん、その状態でも体に鞭を打って頑張っている人も多いようです。
しかし、多くの場合その人たちにとって
「今、やるべきとされていることは、自分の人生にとって本当に価値があるとはどうも思えない」
からこそ、力が全く湧いてこないのです。
特に過去に頑張ってこれた経験を持っている人は、
「あの時は、○○があったからこそ頑張れた」
という記憶が何かしらあるのではないでしょうか?
そして、その○○の中身としては、
自分のこれからの人生にとって価値があるものを具体的に想起できたからこそ、頑張ることができたのではないでしょうか?
自分にとって人生に価値があるといえるものは何か?
この答えは人によって、あるいは同じ人であっても時期によって答えが違います。
答えが違うからこそ、
「あの人はすごく情熱的に頑張っているのに自分は頑張れない」
とか
「あの頃はすごくやる気があったのに、今や全くやる気が出てこない」
といった現象に直面するのです。
ですから、やる気が出てこない、といった状態に対して極端に落ち込む必要はないと考えられます。
重要なのは、
今の自分にとって人生に価値があるといえるものは何か?
と内省することだと考えられます。
そして、人生に価値があることとは何か?と考えた際、
それは人によっては、
「大義」
とか
「使命感」
と呼ぶことがあります。
企業の場合は、
「ミッション」
とか
「企業理念」
と呼ぶことがあります。
そして、人生に価値があることというのは何も勤め先で大きな金額を動かす取引を扱うだとか、個人で大金を資産形成するということとは直接結びつかないことが多いようです。
むしろ、
自分という枠を超えた、自分よりも大切なもののために頑張る
ことが満足感を高めて、自分にとってそのために頑張ることが人生にとって価値あることだと感じる人が多いようです。
例えば、
社会貢献のために頑張ることは自分という枠を超えて社会という自分よりも大切なもののために頑張っているといえるでしょう。
ボランティア活動を行うことが自分にとって使命だと感じながら人生をささげている人もいるくらいです。
社会貢献のやり方も様々あると考えられますが、
いずれにしろ、
自分のため
にとどまらず、
自分の枠を超えたことのために頑張ろうと思えることがその人にとっての人生に価値があると感じられることになることが多いようです。
過去に頑張った経験がある人はこのような突き動かされるような動機が存在したのではないでしょうか?
結局、自分の人生に価値あることでなければ人は頑張れないのです。
したがって、定期的に、
今の自分にとって人生に価値があるといえるものは何か?
ということを内省してみることがよいでしょう。