仕事に慣れてきた人の中にはこう言う人がいます。
「なんか、同じようなことばっかりしていて退屈だなあ」
と。
このようなことを言いたくなってしまった人は、
大抵の場合、勤め先などから似たような仕事が降ってきたり、
そうではなくとも、顧客から似たような仕事が要求されたりして、
「あーまた、このパターンか……」
などと感じる場面も多いようです。
そのようなシチュエーションにずっと置かれていると、
「なんだか、退屈だなあ……」
と感じやすい物です。
そして、なんらかの新しい刺激を求めたくなります。
しかし、実際には、その退屈さに無駄はないこともあります。
むしろ、退屈だと感じてしまうような内容であっても、コツコツと続けることで、それが大きな効用をもたらすこともあるのです。
しかし、
「まあ、それはわかっているんだけど……」
と感じてしまうのが人情でしょう。
あるいは、
振り返ってみると、
「つまらない仕事だけど、今の勤め先からはそこそこの給料もらっているし、退屈だけど、仕方ないか」
などと感じながら仕事を続けてきた、という人もいるでしょう。
「同じようなことばかりをやっているから、さすがにつまらないという印象そのものは変わらないよね」
と感じつつも、無心で業務を遂行している人もいるかもしれません。
しかし、そうであっても見方を変えれば、
面白さ
が発見できるかもしれません。
例えば、以下のような長い階段を毎日往復しなければいけない仕事があったとしましょう。
毎日このような長い階段を上り下りしなければいけない人の場合、
「毎回こんなことしなきゃいけないのか」
「飽きたな」
と感じることもあるかもしれません。
このような人の頭の中では、
階段の上り下り=作業
となっていると思います。
階段の数が多ければ多いほど、階段の上り下りにかかる労力や時間がかかるため、やたらと長いのは嫌だと感じる人もいるかもしれません。
しかし、その階段も一段一段から成り立っています。
そして、その一段一段に着目してみると、
「こちらの段はちょっと短い」
とか
「こちらの段はちょっと端が欠けている」
とか
「この段だけやたらと落ち葉がたくさん落ちている」
とか
「この段だけ湿っぽい」
といった
ほんの些細な差異
を見つけることが可能です。
このように、一段一段に着目していくと、それぞれの段に少なからず違いがある、ということがわかることもあります。
また、
春に階段を上り下りする時
夏に階段を上り下りする時
秋に階段を上り下りする時
冬に階段を上り下りする時
それぞれの場合で、一段一段の姿はまた異なっている可能性があります。
これは些細な違いに過ぎないかもしれませんが、このような微かな違いに着目していくと
「あ、だから、この段だけ湿っぽいのか」
といった思わぬ学びがあったりします。
仕事なども同じです。
実のところ、完璧にすべてが一致している仕事というのはそう多くはありません。
どこかに、
ほんの些細な差異
が存在している場合が多いです。
このようなところに着目していけると、
色褪せた日常であっても、意味を感じることがしやすくなります。
仕事などを始めとした、目の前の人生の試練を、階段を上り下りする時のように、一段一段一歩ずつ踏みしめていくことで味わいを感じられるのだと思います。
「自分に来た仕事はつまらなさそうなものであっても丁寧にやるようにしている」
と語っている人が時折いますが、
ここでいう「丁寧さ」というのは、
一つ一つの階段に着目しそれを踏みしめていくような、そんな丁寧さを表しているのだと思います。