2020年5月21日に、内閣の裁量による定年延長を可能にする検察庁法案が流れた上で、賭け麻雀をしていたとしてスクープされたことで黒川検事長が自ら辞職をすることになりました。
タイミングを考えると、「自らやめさせる理由をつくってあげた」という印象です。
実は、政治的には色々言いたいことはありますが、ここは経済面にフォーカスしたブログなので、その方面から考察します。
今回改めて一つの組織で働いて出世を目指すことにはリスクがあると感じました。
一つの組織で出世するためには時間がかかる。
今回、黒川検事長は63歳の誕生日を迎えたことで、定年延長の問題が生じることとなりました。
私がまず感じたのが、
そもそも、63歳になるまで頑張って働かないと組織のトップレベルに立てない
という点です。
63歳という年齢は20代の私にとって親世代の年齢より少し上にあたります。
あと何年生きたら63歳という年齢になれるのだろうか、という感覚です。
今から私が検察庁では無くとも大企業などで出世を目指すとして、トップレベルまで行くのにはそこまで頑張って時間をかける必要があるのです。
これは日本社会が年功序列という制度を取っているおかげでいくら実力がある人でも「ちょっと待ってね」と言われてしまうこともあると思います。
当たり前ですが、上に行くほどポストが限られているので、そもそも出世できずにドロップアウトする人が多いというのが現実でしょう。
そもそも、近年は終身雇用制度も崩壊気味なので、1つの職場で働き続けることすら難しいかもしれません。
一つの会社や組織に入ったらとりあえず出世を目指したいという気持ちになるのは分からなくも無いのですが、出世をしたら実際問題何を得られるのでしょうか?
そこまで時間を費やしてまで自分は何をなしたいのか、若いうちから真剣に考えておいた方がいいと思います。
いくら頑張って勉強して賢い大学を出て何十年にもわたる出世競争を勝ち抜き苦労してトップに上り詰めても3密の賭け麻雀で一発ゲームオーバーとなるのです。
検察官の場合はまだ法曹資格を持っているので、やめても(稼げるのかはともかく)弁護士をすることが可能ですが、特に普通の公務員しかやっていなかった人の場合はつぶしがきかず、転職も大変です。
辞職なので多額の退職金は出るが・・・・・・
今回は黒川検事長は自ら辞職しており、処分に関しても懲戒免職では無く訓告にとどまっているため、退職金は削られていないでしょう。
軽く数千万円クラスの退職金が出るはずです。
しかし、これ、本当に羨ましいでしょうか?
繰り返しますが、63歳という年齢は私の親世代の年齢よりも上です。
20代の人から見ると、40年近く働いてようやく手に入る金額です。
お金の現在価値と将来価値の違いを考えると、25歳の人が持つ1000万円と、60歳の人が持つ5000万円は実はほぼ同じ価値です。
逆に言えば、25歳の段階で1000万円持っていたら、60歳の時点で退職金などで5000万円ゲットしに行くという方向性のみを目指したり、戦略を立てるのは割と無駄です。
不必要なものをゲットしにいくのはやめましょう。
私は25歳で金融資産1000万円を実際に達成していることから、特にそう思います。
純粋に60歳までストレスがほとんどなくやりがいのある仕事をできたら嬉しいなと考えています。
結局、若いうちは賃金は低いが、年齢とともに賃金が上がっていって、定年まで勤めたらたくさん退職金が出て65歳以降に多額の年金がもらえるというのは、目の前ににんじんをぶら下げられたまま40年間走らされる馬とほとんど変わりません。
要は、報酬の相当割合部分を先送りされ、働かされているのです。
普段出してもらえる月額給料は40年間走るための最低限のコストでしかないのです。
40年間走れずに途中で馬が死んでしまうと働かせる側が困りますからね。
大企業などでこのような働き方こそが正規ルートだと思っている人がまだ多いようですが、
自分がおじさんやおばさんになったらようやくこれだけのお金をゲットできるということをちゃんと想像した方がいいと思います。
繰り返しますが、本当に羨ましいですか?
若いうちに財産を築いて、これからの人生も楽しみます!という人の方が明らかに輝いて見えるのではないでしょうか。
20代は経済的自由(セミリタイア、FIRE、配当金生活)を目指す方がいいです。
以上から考えると、特に役所のように年功序列という日本社会の慣習が残っているところですと、自由を得られる可能性は限りなく低いです。
出世を目指しても、黒川検事長のようにちょっとしたことで一発ゲームオーバーがありえます。
その場合、お金はともかく名誉は一気に無くなります。
社会的地位の獲得のために頑張ってきた人にとってそれは特に耐えがたいのではないでしょうか。
もちろん、社会的地位のために出世をすることを否定するつもりはありません。
しかし、何故それを目指すのか、そもそも目指す意味はあるのか、ということをどこかで立ち止まって考える必要はあるでしょう。
私は社会的地位を目指すよりも自分の自由のため、自己実現を果たすためにも20代は経済的自由(セミリタイア、FIRE、配当金生活)を目指す方がいいと考えています。