コロナ禍において、一番変わったと感じるのは、勤め先との心理的な距離感です。
コロナ禍の前はオフィスに出勤するのが当たり前で、そこで誰か、同僚や上司と顔を合わせるのが当たり前でした。
このような特別な場所に毎日行ってわざわざ顔を合わせることで、お互いが一つの共同体のメンバーであることを確認し合う重要な儀式になっていたのかもしれません。
それがリモートワークや在宅勤務になると一変します。
今までのオフィスで顔を合わせていた人とも、オンラインで顔を合わせたり、電話のみになったり、メールやチャットのみの繋がりになってきます。
これは逆に言うと、勤め先の同僚以外の人とのコミュニケーションと同化してきていると感じます。
取引先の人やたまに連携し合う他の企業の人とのコミュニケーション方法と同僚とのコミュニケーション方法に差がなくなるのです。
このように、オフィスに出勤しないということだけで、勤め先という概念自体が私の中で揺らぎを見せ始めています。
今までの日本は勤め先という概念は、家庭や学校と同じかそれ以上に重要な概念だったと思います。
終身雇用を前提とすれば、特に労働時間が長い人は勤め先こそが「本当の家」であり、人生を全うする場所として最重要なポジションだったのかもしれません。
そして、このようにあまりにも重要だった勤め先という概念によって、そこの人間関係に苦しめられたり、悩みが生じたりして大変な思いをしてきた人もたくさんいるのでしょう。
しかし、オフィスに出勤しないというただそれだけでも、勤め先に対して、人生を全うするべき場所ではなく、数多くの取引先のうちの一つに過ぎないという認識に私の頭の中で書き換わりつつあります。
これは特に、在宅勤務を開始した後に、他の企業の方と共同でプロジェクトを進める際に感じ始めます。
勤め先の同僚と他の企業の人と比べて、共同プロジェクトに時間をかければかけるほど、むしろ、他の企業の人との方が心理的な距離が縮まってくるように感じるのです。
これはおそらく、勤め先での身体的距離の優位性がなくなったことで、純粋に接触回数を始めとした時間の使い方によって心理的距離の差が開いているのだと思います。
このような状態になってくると、
勤め先ってなんだっけ?
と思ったり、
転職ってなんだっけ?転職する意味ってあるんだっけ?
と思い始めます。
相変わらず、たまに転職のお話しが来たりするのですが、勤め先の所属が変わったとして、待遇以外の何が変わるのだろうか、と感じてしまいます。
普段から、他の企業の人たちと共同で仕事を進めることができるのであれば、そのような協力し合えるような仕事を積極的に選ぶだけでも色々事足りてしまうのではないか、と感じることがあります。
オフィスに出勤をしなくなるというだけで、こんなにも心理的な効果があるとは思ってはいなかったです。
同時に、人間関係はフラットになりつつあり、より勤め先以外の人とも積極的にコミュニケーションを意識して取るべきであるとも感じます。
普段あらば、「これはメールでも良いだろう」と感じてしまうところも、
敢えて電話に出てみたりとかも最近は試みています。