ブログを更新しようと思って粛々と準備を進めていましたが、急な勤め先の仕事が入ってしまい、深夜どころか日付を超えるまでに肉体的拘束を受け、更新することができませんでした。
この文章を書いている間も肉体的な拘束は微妙に解けたにもかかわらず、仕事自体は終わっていないという最悪の状況です。
さすが繁忙期です。死にます。
一方で、仕事上、ブログの更新ができないレベルに肉体的拘束を受けている間にも頭の片隅で考えたことがありました。
それは一緒に仕事をしている人との関わりというか、一体感によって難局を乗り越えていくという感覚です。
たった一人で細々と仕事を遂行しているのにもかかわらず終わらないのは純粋に辛いのですが、他の人との共同作業になりますと、互いに目の前で頑張っている姿が可視化されるせいか、一人でひたすら仕事をこなしているのとはまた違った喜びというか、感情のような物を感じるのです。
おそらく、これが嫌いな人との共同作業をしなければならないとなると、最高に苦痛そのものですが、嫌いな人ではないのであれば、共同作業をしていると悪くない気持ちになるのだなと考えています。
職場の人間関係が退職理由のトップに上がるようですが、例えば、同じ長時間労働であっても、比較的好きな人と激務とこなしているのと、いつも怒られたりして一緒にいるのも嫌な人と激務をし、同じ時間を共有し続けるのは、後者のが気持ちとしてしんどい、厳しいということなのかもしれません。
その一方で、最近ですとテレワークの広がりにもかかわらず、職場に行きたがる人というのも存在します。
このようなタイプの人はテレワークのやりやすさなどとは関係なく、職場にいる自分が気に入っている人と仕事をして、同じ時間を共有したいという気持ちが強いのかも知れませんね。
仕事そのものというよりは、仕事を通じてコミュニケーションを同僚を初めとする他人と取ることができる、という点が重要なのかもしれません。
年齢を重ねていくうちに、いつのまにか、会社にしがみつく人もこのような心理なのかもしれません。まるで学教教育には一ミリも期待していなくとも、自分が大好きな友達に会うためだけに学校に通っている人のようです。
こういう動機で、無趣味な人は勤め先の労働にいそしむのが好きな人もいるのかもしれないですね。
でも、私としては毎日同じだけの時間をずっと勤め先の同僚と共同作業をし続けるのはちょっと良くないかなと考えています。
人間関係の面でも、時間の使い方としてのバランスがやはりよくないですので、たまにそういう日があっても悪くないかなとは感じたりはしますが、とにかく毎日は勘弁していただきたいです。
毎日となってしまうと、自分で自分の時間をどのように使うとコントロールの余地がなくなってしまうので、たまに長時間労働で、同僚と共同作業をして、コミュニケーションを取るという感じになるのが一番良いなと感じており、かつ、その時期を自分で選べるようになることが望ましいと考えています。
そういう意味では、私の場合は、自分でコントロールできれば長時間労働でもかまわないと考えているのかもしれません、
とはいえ、勤め人を続ける以上はコントロールする余地が小さいのも事実です。
ますます自分の勤め人への適正のなさが浮き彫りになってきたような気がします。
やはり、自営業、独立して何かをひたすら頑張ることの方が自分は向いているのではないか、と感じています。
独立して自分が選択した、気に入った他人と共同作業のような感じで仕事をするという形が良いのかなと思っています。