気絶投資法という言葉があります。
これは下手に売買を繰り返すよりも、ずっと銘柄を握ったまま放置したほうが結果的にリターンが大きくなりやすいことから、放置することをあたかも気絶しているかのように名付けられているようです。
気絶しているというくらいですから、基本的にトレードはしないですし、証券口座の残高も見ないことが推奨されます。
何もできない状態を創ってしまうことによって長期ホールド状態を実現せよということでしょうね。
株式は既に亡くなった人と、投資していたことをすっかり忘れていた人のリターンが一番良かったという話があるくらいですから、長期ホールド戦略、気絶投資法はもっとも理にかなった方法といえるでしょう。
大抵の人は下げ相場になると不安になったりしてどんどん売りがちでこれによって存しやすいですから、証券口座さえ開かなければパニックになりようがないということでもあるのでしょう。
もっともニュースなどを確認していたら気になって仕方が無くなってしまうというのも分かります。
そして、こんな言葉があるくらいですから、「じゃあ、長期ホールドすればいいだけじゃん。以上。」となるわけですが、これを現実に行うのは慣れ、経験と仕組み作りが必要になると感じています。
私も金融商品への投資はかれこれ数年程度続けている身ですが、恥ずかしながら初年度はやたらとNISA枠で売買を繰り返してせっかくの一般NISA枠120万円分を無駄づかいするという極めて残念なこともやっていました。
何故こんなことをやってしまっていたかというと、インデックス投資のみでは刺激が足りず、退屈な気持ちを受け入れられずに、刺激的な個別株を触ってみたいという自らの欲に負けてしまったことが大きな原因だったと思います。
やってみるとわかりますが、インデックス投資というのは非常に地味です。
しかも、色んな人が言及していますが、投資というのは元本額の大きさによってリターンとなる金額も増えていくので、資産形成の初期段階ではお金がなさ過ぎてちょっと基準価格が上がったくらいでは大して儲かりません。
30年インデックス投資をしたら元本いくらが結局いくらになって~というような皮算用も偶に見かけますが、これは実際に、現実に、30年間も長期ホールドしなければ意味が無いという意味で結構大変なことなのです。
地味な中でひたすら入金し続けるというのがインデックス投資家のおおよその方針となることは間違いが無いでしょう。
そして、この入金し続けるというのが本当に地味極まりなく、新しい情報を出しようがないため、インデックス投資を真面目にやっていればいるほどインデックス投資について段々何も語らなくなる、語れなくなるという現象が起こります。
あまりにも退屈なので人によってはポートフォリオの一部として、個別株をちょこっと触ってみるということをやっている人もいるようです。
いずれにしろ、インデックス投資は退屈で仕方が無く、そして、この退屈さに負けずに長期ホールドを行えるメンタルができるかどうかが鍵と言っても過言ではないでしょう。
インデックス投資は30年以上の長期ホールドが前提となるわけですが、最初の数年はこの退屈さに慣れるための経験値を養うための期間だと考えた方が良さそうです。
こうやって数年続けているとさすがに株式ばかりに自分の人生を費やせないということがなんとなくわかってきます。少額から始めて3年くらいあると良いのではないでしょうか。もしかしたらもっと必要になるかもしれません。
こうやって段々インデックス投資の退屈さを受け入れていくことができて始めてインデックス投資を行うための投資能力が一定程度であれ身についてきたと言えるのではないでしょうか。
ところで、この「退屈を受け入れる力」ですが、要は結果という刺激的な物が出るまではひたすらやるべき行動を飽きずに続ける・やりぬく力ということになりそうです。これは投資のみならず他の勉強や仕事などの分野においても大切な力です。
大きな成果というのは急に出るわけではなく、無数の行動の結果出てくることが多いわけで、しかも、プラトー現象などにも言われるように、行動量に比例してそれにふさわしい結果が出てくる訳ではない辺りがくせ者です。
結果が出ない間は非常につまらなく、退屈で、「こんなことやっていて果たして意味があったのだろうか」と思いがちです。
しかし、これを乗り越えることで長い期間の行動量の果てに大きな結果が得られるのでしょう。
とはいえ、通常、行動するためにはエネルギーがいるため、何度行動しても結果が出ないとなると非常に萎えやすい、挫折しやすいというのも事実です。
ここを上手く解決したのが最近の証券会社によくある自動積立設定でしょう。自動積立設定というのは「何度も何度も飽きずに入金し、金融商品を購入し続ける」という行動を本来は本人のエネルギーが必要になるにもかかわらず自動的に積立をしてくれるという意味で非常に画期的だったと考えています。
この仕組みは、要は会社で言うところでは、従業員に「毎月積み立てしておけよ」と指示し、その通りに行動させるのと似ています。要するに、行動の部分を自分ではやらずに外注してしまうということです。
似たような所では、ゲームのレベル上げも同じように他人にやらせることによって経験値を稼がせるということが可能になります。
外注してしまっている以上、自分自身のエネルギーは使っていないわけですから、結果が出るまで取りあえずひたすら同じ事を繰り返せと指示して寝ているだけで、気絶しているわけで良いわけです。まさに気絶投資法です。
逆に言えば、このような形で外注又は雇用されてひたすら単調な作業を続けさせられているのが勤め人や下請けということになると思います。このような立場になってしまうとひたすらにつまらない、退屈だと思うような作業を続ける必要が出てくるので、これが勤め人の苦しみの源泉ではないかと考えています。
ひたすらに繰り返さないと行けない退屈な作業についてはこのようにまずもって①そもそも自分で行動しなくても良くなるための仕組み作り、システム作りができないか検討してみるということが大事になってくるでしょう。
もっとも、どうしても勉強などのように外注できない部分も出てくると思います。
その際には、やはり②退屈なことでも受け入れる力、退屈さを受容する力ということが重要になってくるでしょう。要するに「やる気があろうがなかろうがモチベーションがあろうがなかろうが同じような行動を続けることができるようにする」必要があるわけです。
このために一つ考えられる方法論としては、強制的に自分が特定の行動をしなければならないための状況を創ってしまうというあたりが重要になりそうです。
例えば、自動車免許を取る際に合宿のプランを選択する人もいるかと思いますが、あれは自動車免許を取るための勉強を強制的にしなければならない状況を手に入れるための試みです。平たく言うと、環境を金で買う試みです。
さらにより望ましいのは、大きな結果を手に入れて結局どうしたいのか、という目標達成における動機を定期的に見直してモチベーションを上げ直すという辺りも古典的ですが有効になりそうです。
インデックス投資の場合は、老後の際に自分の手元にお金がないという状況を想像し、その悲惨さを避けようという動機が強いと思います。
いずれにしろ、大きな結果、何か普通の人と違う結果を求めている場合には、適切な努力、行為を結果が出るまでひたすら続ける力というのが抽象的には必須になると思います。
その中で時に「退屈だな」と思うときもあるかもしれませんが、それでも、その退屈さを受け入れることができる力を同時に養っていく事が重要になってくるのではないでしょうか。