人生の前半期には選択肢を広げるための努力をした方が良いとよく言われます。
もっとも身近な例は、学歴を得るために勉強をした方が良いというアドバイスをされることでしょうか。
最近は、学校不要論も出てきていますが、依然として人生の選択肢を広げるためとしてこのようなアドバイスをされることが多いようです。
何故こうなるかというと、やはり「凡人は勉強をして学歴などを取っておくのが無難」だからでしょう。
もっというと、凡人なのか天才なのかよく分からんからリスク管理のために学歴は取っておけという意味合いの方が強いのかもしれません。
正直、生まれたての赤ちゃんにおいてはその人が天才児なのか凡人なのかよくわかりません。
大学入試を受ける辺り、18才の頃までに何か天才だと思われる能力を発揮する人もいれば大器晩成型の人もいるわけです。
後者の人は周りの目から見ても大した人なのか、たいしたことない人なのかよくわからないでしょう。少なくとも18才の頃までは。
そう考えると、ほとんどの人にとって学歴を取る意味というのは、自分が仮に天才であれば学歴を使用しないような進路に進むことが可能になると同時に、仮に凡人であれば学歴を使って下駄を履かせてもらってそれなりの大企業に勤めるというルートのどちらも取り得るようにするという意味で大きな意味があるのかもしれません。
このとらえ方で行くと、学歴を取るための勉強というのは自分の人生の選択肢を広げるための努力を行っている状態と言えそうです。
これは人的資本を用いてさしあたり生活費を稼ぐ際のことを想定して、リスク管理のため学歴は取っておけ、という話をしているので、人的資本の形成におけるリスクの低い、王道の方法を用いているという見方もできそうです。
これは資産形成をして、経済的自由の達成を目指す際にも同じような事が言えそうです。
経済的自由がなければ、あるいは資産形成がほとんど進んでいない場合、金融資本が乏しい状態を意味するわけですから、そもそも人生における選択肢が限られてしまいます。
この状態では家賃の高い都心に住んで時間をお金で買うということは困難ですし、高所得者が手を出せるような新製品についても技術の進歩によって値段が安くなるまでひたすら、下手をすると数十年単位で待つ必要があります。
私は本を読む際にはわざわざ図書館に行く前に書店で購入してしまうことも多いのですが、これも時間軸を若干意識しています。すなわち、書店でいいなと思った本が最新すぎてそもそも図書館においていないパターンや書店から図書館がそもそも遠い場合やどちらも家から遠い場合というのは書店で本を購入して情報を手に入れている人よりも少なくとも後れを取っていることになります。
そもそも、手元の資金力的にいちいち高い本を買うのは無理という状態であれば、書店で本をその場で見て購入するという行動を取るのは難しいでしょう。これが選択肢が乏しいという状態です。
逆に、ある程度資金的に余裕があるにもかかわらず図書館で本を借りる派の人もいると思います。しかし、このような人は本を購入するかあるいは図書館で本を借りるのか、という選択肢をもった上で、何らかの理由をもって図書館で本を借りているわけですから選べる立場を得ている状態です。
また、ある程度資産形成が進んで身軽な状態が保持されている人というのは、勤め先の選択においても自由がきくことでしょう。
金融資産5000万円をもっていて年収300万円の人が自分が本当に興味がありそうな事をするためにこれから取ることが許される選択肢の量と、金融資産が0円の状態で年収300万円の人が取ることが許される選択肢の量というのは年齢にも依りますがおそらく全然違うと思います。
また、経済的自由を達成してしまってもなおその勤め先で仕事をし続ける人もいれば、全く別の勤め先にさっさと移動してしまう人もいるでしょう。
資産形成というのはこのように自分の選択肢を広げるための努力でもあるということです。
この資産形成についても王道の方法論があります。すなわち、手取り年収を上げて支出を下げようという話ですね。
どの科目の支出をどこまで下げるのかという重大論点は生じますが、おおむねこの定式に沿って努力を続けていれば自ずと資産形成の結果はでるようになっています。加えてさらにやっておくことが望ましいのが投資、資産運用ということになるでしょう。
複利のことを考えれば、例えば働き盛りの20代は実家暮らしで家賃等の生活費を激減させて資産形成をしつつ、30代以降になってある程度資産形成が進んだら前々から興味のあった一人暮らしをするという発想もあり得るでしょう。一方で私のように一人暮らしをすることを半ば強いられている人もいます。
難しいのは、このように選択肢を広げる努力をするのと同時に「結局自分がどの選択肢をとろうとしているのか、何が大事、重要だと思っているのか」ということを常に自分に問い続ける必要があるということでしょう。
典型的には、家賃がそうです。実家暮らしをする選択肢がある人であっても何らかの理由で最初から一人暮らしをすることがその人の人生において決定的に重要な事であったりもするわけです。そういう人は資産形成をすることを目標に掲げていたとしても実家暮らしを選択しないでしょう。これはその人の信念によって選択が決まっている状態です。
逆に、私のように部屋の間取りについて考察し続けてどの条件が不要なのかがはっきりと分かっている人は賃貸物件における選択肢が広がる分、広がりすぎて賃貸物件を選択するのが逆に困難になるという現象も生じます。何が決め手になるのかという選択をするための基準が確立されていないとこのような残念な状況になります。
結婚相談所などで見合い相手をたくさん紹介される人も似たような悩みを持っているでしょう。とにかくこの人とならば多分大丈夫ということでたくさん紹介された上でどれも選択することは可能な立場であるにもかかわらず、自分にとって結婚相手に求める物は何なのかということを全く決めていないとひたすら迷っているだけで終わります。
資産形成においては、資産形成を果たして、経済的自由を果たして、選択肢を最大限まで広げた果てに結局自分は何をするのか、何が大事だと思っているのか、に対する回答を見つけて、それを実行することが人生において最も重要なことだと考えています。
これは常日頃から考える必要があるという意味で非常に大変ですが、しかし、いつかは決めておかないと取りあえず老後までに資産形成は完了したが、結局何をどうするのかわからないということになりかねないわけです。