私が常々感じていることは、
誰も気づけなかったことに気付くだけでものすごく価値がある
ということです。
それはもしかしたら、
初めて錯視やバイアスを見破った人
と同じくらいのインパクトがあるでしょう。
気づくか?
それとも、
気づけないか?
一見すると、ただそれだけのことですが、これができるのとできないのとでは結果に雲泥の差が生じます。
特に、勤め先においては、
上司たちが全く気付かなかったことにも気づいて指摘できる人
は非常に貴重です。
そして、それが仕事の結果を左右するレベルの重大な視点であった場合はなおさらです。
その人がいなければその勤め先が危機に陥る可能性すらあるわけですから、その価値は非常に高いと言えるでしょう。
気づけるか?
それとも
気づけないか?
というのは、些細なことですが、重大なインパクトをもたらします。
気づいた人がそれを指摘するのはそれ自体は数秒で終わりますが、
それは時には、一日16時間労働した人よりも高い価値を発揮するものです。
これは、すなわち、
気づける人の時間単価は単純な労働をしている人よりも極めて高い
とも言えるでしょう。
短時間であっても高い仕事の価値をもたらしている人というのはそういう人です。
世の中には1時間あたり1000円で働いている人もいれば、1時間あたり数十万円で働いている人もいます。
この違いはひとえに時間単価の違いです。
単純労働の場合はなかなか時間単価は上がりませんが、気づける人のように短時間で多大な価値を提供できる人の時間単価は極めて高いのです。
しかし、当然ですが、誰もが気づける人になれるかと言えばことは簡単ではないでしょう。
彼らのようになるためには、
①勉強を続ける
とか
②気づける人から情報を提供してもらう
といったことを行う必要があります。
特に、①に関しては単純に勉強するだけではなく、周りの人がやらないことも勉強する必要があるため、
気づける人になれるのは希少です。
私の実感として、気づける人になることができると仕事で大きな価値を提供することが可能です。
「そんな方法があったのか」
とか
「それは思いつかなかった」
とか
「そう来たか」
といった感想を私が頂戴することが多いのも、私が気づける人だからというのもあるでしょう。
それゆえに、私の仕事の時間単価はここ数年で上がり続けています。
そして、このまま上がり続ける可能性も極めて高いものと考えています。
誰も気づけなかった視点をもたらすことができる人の時間単価はそれほど高いのです。