改めて自分が今後何を学んでいくべきなのか、ということを考えた場合、特に課題となってくるのは以下の点です。
●自分の人生のビジョンを創る力
●ビジョンを現実的な物にするための具体的な設計を行う力
●設計に基づいてビジョンを現実化するための資源を用意する力
このような書き方をすると、非常に抽象的すぎるのですが、家を建てることを考えてみるのが良いのかなと思います。
すなわち、まず、「こんな家を建てたいな」と思いがまず来ますね。
家の大きさはこのくらいで、庭はこのくらいで、間取りはこんな感じで、外観はこんな感じで、機能としてはこんなのがあったらいいな・・・・・・などと細かいことを妄想し始めます。
この段階では、私の頭の中にどんな家が欲しいのか?という観念のみが存在している状態です。
人生でいうと、「こんな感じの人生が送れたら良いな」とビジョンを妄想している段階ですね。
私の場合、具体的には「ブログをこんなスピードでこんな分量で書きたいな」というような漠然とした妄想も含まれます。
しかし、妄想しているだけでは、何も現実には起こりません。次に必要になってくるのはこのような妄想の解像度を分解して分析し、構成要素を把握することです。
家で言うと、どんな材料がどんな長さで存在し、それぞれに具体的な数字としてどんな空間が存在できるのか、あるべき機能はどのような大きさでどこに存在しているのか、細かい家の構成要素を分析し、設計図に落とし込みます。そして、この設計図の完成のために必要な資源を把握します。
このような仕事をするのは一般的に設計事務所で働いている建築士さんでしょう。
このように、ただの曖昧な妄想やビジョンを具体的に数字に落とし込む形に把握し、数字を実現するためには何が必要なのか把握するのがここの設計における作業です。
最後に必要になるのが、数字を実現するために必要な資源を調達する力です。
家は設計図だけを完璧に仕上げただけでは当然完成などしません。家を構成する材料を用意する必要ですし、土地の部分も当然用意する必要がありますし、さらに、実際に家を建てる作業を行う大工さんなどを初めとする作業員が必要になります。これらをどうにかして用意しなくてはいけません。
このような①ビジョン、②設計・計画、③資源の調達の過程を経てようやくただの妄想が現実化することになります。
重要なのは、①②③の全てが妄想を現実化するためには必要になるということです。
①がなければそもそも何の家も建ちません。
②がなければ家を建てたくても非現実的な計画しか立てられず、頓挫します。
③がなければ設計図が完璧でも資源不足により結局家は建ちません。
一般的に、資産形成と呼ばれる行為は③に主に着目する物であると私は考えています。
すなわち、このブログでは、資産形成の内容として、いわゆる有形資産のみならず、人的資本、金融資本、社会資本の3つを主軸に積み上げを行ってどんどん自分という資産を形成したいという思いでいるのですが、そもそもの話、これだけだと③の部分しかフォローできないと言うことです。
このように考えると、資産形成をするのは良いけれども、では一体何のために資産形成を行うのか、という目的をしっかりと定めなくてはならない、それを見失ってはいけないということがわかります。
資産形成というのは、飽くまで、自分の幸福や自己実現のための手段を用意するものに過ぎないのかもしれません。
改めて考えるとやはり、①のビジョンを描く力をもっと伸ばしていく必要があると感じています。
しかし、困ったことにビジョンを描けと言われても、普通は何も出てきません。
「新しい商品を開発して欲しいから何か考えろ」と急に勤め先に言われても、すぐには何も思い浮かばないのと似ているのかもしれません。
このような開発の仕事の前提として、ビジョンが重要になるわけですが、私はこのビジョンという物を練り上げる際に大事になってくるのは、美意識ではないか、と考えています。
より抽象的な目標であるbeing目標はその英語の通り「どうあるのか」という物を問いかけるわけですが、これは人間で言うと「どんな人間でありたいのか」「どんなアイデンティティーを持っている人になりたいのか」ということを考えることになります。
このような「あり方」というものを問われた時、美意識という感性によって人は自分のことを把握するのではないだろうかと考えるのです。
そのように考えると、もっと美的センスのような物を磨いていくべきではないか、と感じるのです。
そして、センスというのは何も考えずに代わり映えのない日常を送るだけでは磨かれようが無いと思っています。
今まで見たことのある物よりもよりセンスの良い物に出会って、自分のそれまでの認識を相対化することによって初めてセンスという物が磨かれるのではないか、と考えています。
そのような意味で、MBAのみならず美術学修士号(MFA)にも最近興味が湧いています。
MBAは主に経営にあたって論理的な思考やデータに基づく確かな意思決定を学ぶことを目的としているという印象ですが、そのような一種の正解を求める学びというのは正直、AIとかの方が得意でしょう。というかこれらに任せたり外注した方が話が早いのではないか、とも感じます。
したがって、そもそも美意識に基づくビジョンを描く力をもっと伸ばすべきであり、もっと幅広い教養のような物を身につけることが重要ではないか、と考えるに至りました。
したがって、MBAも面白そうだと思いつつ、美術学修士号(MFA)の方をメインにフォーカスして、あわよくば両方取ってしまうということを考えた方が面白そうだと考えています。
もし、両方取るとなるとそれなりに時間はかかってしまいそうですが、これを目指すべき価値はあるのではないか、と考えています。
国内でも美術学修士号(MFA)はとれそうですが、せっかくなので海外を目指したいところです。