何か事をなしたり、挑戦をしようとする際に、多くの人の頭をよぎるのは、
「そうはいっても、私には才能とやらがないのではないだろうか?」
ということかもしれません。
最初から、
「あなたには○○という才能があります」
といった具体的な示唆を何らかの方法で得ることができるのならばともかく、
多くの場合、やってみないと向いているのか否か、他人から「あなたには才能があるね」と言われるような話になるのかがよくわからない、といった状況になりがちです。
このような状況に置かれると、
「挑戦してみたは良いものの、結局才能がないことが判明してしまって上手くいかないのではないか?」
などと考えがちであり、
やる前から強い不安を感じてしまい、せっかく湧き上がってきたやる気を失う
といった話になりかねません。
このような発想になってしまうのは非常にもったいないと言えるでしょう。
実際のところ、
取り敢えず、やってみた上で、「続ける一人」に残ることで初めて何かを大成することができるのであって、
才能が仮にあったとしても続けることができなければ結果を出すことはできないことでしょう。
これは、別の側面から見ると、
凡人による大量の試行錯誤は才能をも超える
と考えることもできることでしょう。
大量の試行錯誤は高度に洗練された習慣となっている場合もあります。
「もしかしたら、才能がないから挑戦しても無駄に終わってしまうかも?」
などとついつい考えてしまって挑戦そのものを躊躇してしまう人はとても多いです。
しかし、挑戦をして、大量の試行錯誤を行えば、
凡人なりに大量の試行錯誤を行った結果、というデータの蓄積は少なくとも得ることができます。
そのデータの蓄積は決して無駄になることはなく次の新しい挑戦を行う際の糧になることでしょう。
凡人による大量の試行錯誤は才能をも超える
のですから、
何かに対して
「もしかしたら、私には才能がないのでは???」
と動き出すことができずに悶々としているよりは、
「取り敢えず、早く大量に試行錯誤を行って大量のデータをとろう!」
と考えて次々に行動を起こす人の方が後々に使用できる質の高い経験値を得ることが可能です。
私たちは、結果が出ないと「失敗した」などと思いがちですが、少なくともその時のデータを収集できますし、それをもとに次につなげることが可能です。
そのように考えると、
「もしかしたら、才能がないのかも??」
などと考えて悶々と立ち止まっているよりは、
凡人による大量の試行錯誤は才能をも超える
と信じて実際に行動を起こすことがおススメです。