私の普段の日記などを見返してみたところ、「変化に対応できるように」云々という言葉遣いが見受けられることがわかりました。
周りの人の言動を見ていても、比較的意識の高いビジネスパーソンは、「変化が激しい時代だから、競争も激しいし、それに対応できるようにさらなる努力を重ねなければいけない」というようなことを言い出す人もいます。
気になっているのは、変化に「対応」するという言葉遣いです。
これはあたかも自分の力でコントロールが不可能な事情によって周りの環境が変化してしまうが故に、それに対して適応するために頑張らなくてはいけない、というニュアンスが含まれているように思います。
私は自律性を大事にしており、かつ、コントロール欲が比較的強いため、「そもそも、何故、他人とかが起こした変化に私がついていかなくてはいけないのだろうか」と感じ始めてきました。
確かに、変化というのは、自分以外の他人によって起こったりすることの方が現実的には多いため、それに「対応」するという言葉遣いになるのも頷けます。
しかし、例えば、自分がコントロールできない変化の範囲が全体の99%だったとしても、残りの1%ぐらいは自分がコントロール可能な変化である可能性があるわけです。
その残り1%というわずかな範囲であっても、それを自ら変えることができるのであれば、その範囲だけでもより良い状態に変化させたいという気持ちです。
それは自分自身の変化かもしれませんし、自分の周りの半径5メートル以内の変化にすぎないかもしれません。
しかし、自律性の高さを欲する私としてはせめて半径5メートル以内ぐらいの範囲であっても、自分の力でより良い状態へ変化させることができるようになりたい、と感じるのです。
それが叶ったら私は自分の力でより良い状態へと何かを改善することができたとして強い満足感、達成感を得ることができるのではないか、と考えるのです。
そして、よくよく考えてみると、自分の力で変化させることが可能な範囲がたとえ1%程度しかなくとも、他の人にとってもそれは同様なわけです。
どういうことかというと、Aさんが変化させることができる世界の範囲が1%で、Bさんが変化させることができる世界の範囲も別の1%である場合もあります。
AさんとBさんで合計すると、2人が協力することによって変化させることができる世界の範囲は2%となります。
実際は、影響力の範囲というのは、全くといって良いほど平等ではなく、現代社会においては、Aさんが限りなく0%に近い影響力を持っている一方で、Bさんが50%近くも影響力を持っているという場合の方が多いのですが。
何が言いたいかというと、このような考え方に基づけば、自分自身の力により変化させることができる範囲がたいしたことが無かったとしても、他人の力を借りることによって、変化させることができる範囲というのは増やすことが可能と言うことです。
さらっと、「他人の力を借りればいい」などと書きましたが、これは要するに他人に対して影響力を与えて自分にとって望ましい変化を身の回りで起こしていただくようにする必要があるため、何らかの形で協力してもらえるようにする必要があるという意味で、必然的に高いコミュニケーション能力が要求されます。
そして、他人の力を借りてその人の身の回りで変化を起こしてもらう必要があるという意味で、個々人間においてお金を払ったり何かをあげたりするという行為は一時的な説得の効果はあったとしても、コスパが悪くなった瞬間に協力関係があっさりと終わってしまう可能性があるという点が難しいところです。
継続的な協力関係を望むのであれば、他人と個別に取引をするというよりは、同じ目標や理念を共有するという形でのアプローチが望ましいでしょう。
これはスケールが大きくなってくると、「こういう社会に私たちは住みたいね」というような形で、思想性を帯びてきて、同じ目標、理念、思想の元で、同じ方向性を持って別の場所における変化を起こす運動のような形になるのかもしれませんね。
いわゆる社会活動などをしている場合というのは、こういう形で社会そのものに対する影響力を与えたいという目的の下で他人の力を借りているということになるでしょう。
変化に「対応」するという受動的な発想の人はこのようなことをそもそもやろうともしません。一見、意識高く頑張っているように見えても、所詮は受け身でしかないので、ただただ、他人の影響力に飲まれ、対症療法に追われるだけなのです。
逆に、変化に対して能動的になれる人というのは、そもそも、自分が望む自分の人生や社会のあり方などのビジョンや理念、信念を確かに抱いて、しかも、心に秘めているのみならず実際に行動できる人のみ、という話になってきそうです。
このような一種の反省の意味も込めて、これからの私自身の人生の目標や何を目指したいのか、どのような社会や世界において将来的に生きていきたいのか、そのために自分が具体的に行動できることは何かあるのだろうか、ということを常に考え続けることが大事になりそうだと改めて感じています。