西洋占星術によると、2020年12月22日を境に「地の時代」→「風の時代」への移行が行われるとされています。
そして、この風の時代というのはこれから200年近く続くということなので、今生きている人はこの風の時代の影響を受けざるを得ない、ということみたいです。
というわけで、コロナ禍を境に時代変わっちゃうね、という話なのですが、
地の時代というのは何だったのかと言えば、
物、お金、優劣、数字、地位、名声
のような価値観が重視された時代らしいです。
その一方で、風の時代の価値観というのは、
自由、情報、知識、知恵、ネットワーク、個性などが重視される時代であるということらしいです。
別に地の時代の価値観が悪いというわけではなく、その価値観が行き過ぎてしまった結果反動が起こって次の時代の価値観がどんどん広がってくるという理屈のようです。
大筋目に見えるわかりやすい富よりも、目に見えない一見分かりにくい富が重視されると言うことですね。
最近も、有形資産よりも無形資産だよね、という本はたくさん出てきていますし、
本格的に風の時代への移行が始まっているのだなということを私もひしひしと感じます。
ミニマリストが近年流行っているのも、より多くの物を集めることで満足していた地の価値観の反動であると言えますし、
会社での出世よりも、自分のための時間が欲しいだとか、
お金ではない、やりがいだ、自己実現だ、とか、
色んなところで、地の時代の価値観から風の時代の価値観へと移行しているわけですね。
まあ、おそらくはこの流れは止められないでしょう。
未だに地の時代の価値観に拘っている人もいますが、年数が進めばどんどん先細りになっていくと思います。
そこそこ年齢の行ってしまった人は良いのですが、私と同じ20代の方はまだ先が長いので、風の時代の価値観をチェックしておくことをオススメします。
色んな未来予測の本も最近は出ていますが、一つの補助線という意味で、「地の時代」→「風の時代」の移行が行われているという観点で色々考察するとそこそこの精度が期待できるのではないでしょうか。
さて、この風の時代というのと、FIREムーブメントについてここでは触れたいと思います。
FIREという言葉自体は2020年以前にも一応ありましたし、達成者もたくさん出てきていました。
もっとも、原始的なFIRE、つまり働かずに生きていく形として大分昔に想定されていたのは、
潤沢な配当金などの不労所得を得ながら、贅沢に生活費を支出する
という形態だったと考えられます。
これはいわゆるテンプレの富裕層のイメージであり、小太りのおじさんがいかにも高級な衣類を身にまとって贅沢の限りを尽くすという状態でしょう。
これは基本的に、親が成功者でそこにおいて生まれた人が親の有形の財産を引き継ぐという形で、富裕層の再生産が行われる形で、達成されていたのではないかと思われます。
資本主義社会においては、生産手段を持たない労働者は、自らの労働力商品を売ることでしか生き残るすべはないとされ、一部の生産手段をゲットした資本家のうち成功したまま生き残った者の子孫がこの恩恵を受けることが可能でした。
基本的に、労働者階級の人物が階級移動をすることはかなりの困難をともなったことにより、格差は世代が進むごとにどんどん広がっていったのだと思います。
なぜならば、生産手段が用意できなければ資本家にそもそもなれないのにもかかわらず、それを手に入れる手段が資本家の元に生まれることぐらいしか基本的にやりようがなかったからです。
これは生産手段の内容としてもともと想定されていたのが、所有権という国家によって認められた法的権利によって排他的に支配された「物」に、いわゆる有形資産に限られていたからだと思います。
一応、勤勉な労働者が蓄財の末に生産手段をゲットすることは可能ではありましたが、そこまでの領域まで到達するためには相当の年数の寿命を使う必要があった、「物」という所有権を正当に貨幣経済を通じた取引によって手に入れるためにはまずは大量の自分の時間をお金に換える必要があった、ということでしょう。
その末に老人となった頃にようやく資本家としてのまともなスタートを切ってそれを自分の子供に引き継ぐという形になります。
そうすると、生産手段を得て資本家になるためには一人分の文字通り生涯を費やさなければならないということを意味するのであって、端的に言えば、自分の人生そのものを犠牲に捧げる必要があったため、
まさに
無理ゲー
の状態が続いたのです。
こんな状態が続いたら革命の機運はやはり高まるでしょう。
まあ、革命については社会主義など色々あるようですが、それと同時に進んできたのが、IT化、情報通信革命です。
情報通信革命が進んだことにより、この無理ゲー状態に一つの大きな変化が生じました。
それは知識や情報そのものを生産手段にすることが可能になったということでしょう。
知識や情報そのものは有形資産ではなく、無形資産です。
そして、それを手に入れることができる人は限られていないという特徴がありました。
「無主物」と呼ばれる物を除くと、人が生まれた瞬間に周りにある「物」は基本的に自分以外の誰かの所有権が及んでいるわけで、勝手にそれを自分の物にすることはできないという建前がありました。
しかし、知識や情報というふわっとしたものは特許制度や著作権のように確たるレベルに至るものを除くとほとんど排他的な法的権利が及んでおらず、ある程度好き勝手に収集ができますし、むしろ、それを編集してできあがったものに自分の著作権を及ぼすこともできます。
したがって、知識や情報のような無形資産をベースに生産手段を構築した人は、情報通信革命によってもたらされたレバレッジを最大限活用することによって、それにより労働者階級出身であっても一気に一代でも資本家になることが可能になりました。
いわゆるIT長者が出た意味合いというのは、情報通信革命の進展により、資本家に成り上がるためのキーポイントである生産手段の確保を無形資産の形成により以前に比べて短時間であっても可能にしたということだと私は考えています。
もっとも、飽くまでも以前に比べて短時間であるというだけの話なので、この点は依然として難しいところはあります。
だんだん話がそれてしまいそうなので、FIREの話に戻りますが、
情報通信革命の進展によってまず株式投資が一般庶民にとってもやりやすくなってきたという点は大きいと思います。
今では、ネットで積立投資などと言ってやっていますが、そもそも株式を気軽に小口の端金で手に入れること自体が以前は難しかったというところがありました。
これによって、少しずつ、株式などの有形資産をコツコツと形成することが可能になったのですね。
また、不動産という有形資産についても、2000年以降アパートローンがサラリーマンにも出るようになったので、零細のサラリーマンでも不動産投資に着手しやすい環境が整ってきていました。
このような形で、労働者階級に生まれた人であっても、チャンスを手に入れることができた人は有形資産をコツコツと形成することによって不労所得を手に入れやすい環境も増えてきていたと思います。
このような形で、有形資産の形成という「地の時代」の価値観に沿った形でとにかく数字をあげて上を目指すことによって、「地の時代」が続いた2020年頃までは最終的には働かなくても生きていける状態であるFIREという一つの頂き、いわゆる「人生双六の上がり」に到達できるようになった人がたくさん増えてきたのだと思います。
一方、最近では、このような全く働かなくても生きていくことができる状態になるところまで待たない、あるいはそこまで拘らないという形も増えてきましたね。
これはすなわち、「地の時代」の価値観に沿った勝者にならなくてもいい、そもそも「風の時代」の価値観でもある自由をつかむためには、有形資産という形での金融資本に依存しすぎる必要など無いはずだ、ということに皆が気づいてきたのだと思います。
具体的に言えば、貨幣経済に依存しすぎないように、お金を使わなくても生きていけるようにする節約を極めることによってFIREの難易度を下げてしまったりする活動などもそうですし、
何なら、ネットワークを、人間関係を強固に構築することによって、お互いに助け合うことで、その分お金に対する依存度も減らすことが可能です。
そんなの昔から田舎とかでやっていただろと思われるかもしれませんが、情報通信革命によってコミュニケーションにおける距離的制限がなくなったことや非同期コミュニケーションが可能になったことや、そもそもコミュニケーションの量を増やすことが可能になった点がかなり大きいです。
情報通信革命による恩恵を受けることができるようになった点が昔とは異なります。
これを上手く使えば、下手に有形資産である金融資本だけをガツガツ貯める必要も無いですし、
むしろ、こちらの無形資産の方の価値の方が金融資本より大きな価値をもたらしている場合も出てきています。
このように考えていくと、これからの「風の時代」におけるFIREムーブメントというのは、単純に有形資産をコツコツと形成して例えば「億り人」のような「一種の人生のゴール」を目指すものではなく、「地の時代」の価値観とのお別れを告げる形での、より自由で個性豊かなFIREの色んな形態が出てくるのではないか、と私は考えています。
もはやこれらはFIREと呼ぶべきですらなく、勤め人も含めた個々人の生き方そのものが多様化するという事でもあると思います。