そろそろオリンピックが開催されると風の噂で聞きました。
私の家にはテレビがないため、まずオリンピックがいつから開催されるのか、その正確な日時を私は知りません。
どうやらオリンピック関連で不祥事が多発しているということは聞き及んでいますが、
それ以上の詳細については私の方で特段リサーチしていないです。
このように、オリンピックにびっくりするほど関心の無い私ですが、おそらく世間的にはみんな楽しみにしていて応援をしていると思います。
それはそれで良いと思います。
しかし、よく考えれば当たり前ですが、オリンピックを見ると、オリンピックを見るために必要な時間が私の寿命から削られます。
私の寿命をわざわざ削ってまでオリンピックをわざわざリアルタイムで見るメリットは私にとっては少なくともないと考えられます。
また、私の場合、実はオリンピックに対する印象がそもそも他の人と違うと考えています。
どういうことかというと、おそらくテレビなどでオリンピックを(純粋な意味で)楽しんでみている人は、
「日本は今回のオリンピックでメダルを幾つとるんだろう?」
とか、
「注目されている●●選手は活躍するかな?」
とかそういう関心事として見ているのだと思います。
しかし、私はどちらかというと、オリンピックに対して
自分のライバル達が今まさに成果を発揮している晴れ舞台
という認識で見ています。
ライバル?いやいや、そもそも足下にも及ばないでしょ?
そう思うかもしれません。
確かに、スポーツの文脈ではその通りです。
どうひっくり返っても私では彼らに全く勝てません。
しかし、私はそのような見方ではなく、
そこからより抽象化した意味合いとして
個人として、世界に通用するレベルの能力を持って、まさに活躍しているアスリート
としてオリンピック選手達を見ています。
見ていますと書きましたが、もちろん、一人一人の顔も名前も覚えていません。
おそらく今回もメダルを獲得すると期待されている日本人選手が何人か報道されていると思われますが、もちろん一人も知りません。
しかし、オリンピックに出場する選手というのは多かれ少なかれ、それぞれの国内の競争に勝ち抜き、個人として世界に通用するだけの能力を地道な努力を積み上げて鍛え上げてきた人たちであることは間違いないわけです。
オリンピック出場選手というのは少なくともそのようなレベルの高い人たちであるという大筋の認識を私は持っています。
そして、彼らがこのオリンピックのために今まで本当に幼い頃からどれだけの努力を時間をかけて積み上げてきたのだろうか、と素朴に想像するのです。
それは、例えば、
TOEICで点数が必要だから数ヶ月ちょっと頑張ってみるかー
みたいなのとは努力のレベルが違うわけです。
まさに、努力の桁が違うと言っても良いかもしれません。
彼らはこの晴れ舞台のために今まで私たち一般人には到底想像が及ばないレベルで努力をし続けているのです。
コロナ禍というアクシデントもあったのですから、メンタル的にもキツい場面があったでしょう。
本当にメンタルがキツいのは勿論本番の瞬間ではあると思いますが、長年メンタルを頑張って維持してきているわけです。
そのような日々の積み上げの結果として、個人として、世界に通用するレベルの能力を持って、まさに活躍しているアスリートとしての今の彼らがあるのです。
私はそのような
空気
を頭の片隅で感じながら
自分も努力の量を積み上げなければいけない、と感じています。
大事なことなので、改めて、もう一度書きますが、
そもそも、私にとってオリンピック選手というのは、観念としては、憧れの存在でも何でもなく、プロフェッショナルとしての、自己実現的活動をし続けている強力な「ライバル」なのです。
ですから、少なくとも、
「あの人は才能があってすごいなーいいなー」
などという他人事のような気持ちでは向き合えないのです。
ましてや、
「●●選手はあそこでミスがあったけどあれは残念だったよなー」
みたいな感じで、例えばビールを片手に好き勝手にテレビの前で論評することなどとてもではありませんができないのです。
画面の外から彼らを見てくだらない論評をしている時点で外野でしかありません。
自分の人生に集中しましょう。
そして、時間をかけて修練を積まなければスポーツに限らずどんな分野においても自分が満足できる大きな成果は出せない、という基本原則を思い出すのです。
だからこそ、私はオリンピックを敢えて見ないのです。