かつては、
「厚生年金にしっかりと入って老後は十分な年金をもらおう」
と考えて頑張っていた人が多いのかもしれません。
厚生年金保険料は年々制度が変わっていくため追いつくのが大変ですが、ものすごく乱暴に言えば、より多く稼げた人の方が毎月の厚生年金保険料が高くなる代わりに老後においてもより手厚い年金支給が期待できます。
現在は、様々な制度がある一方、65歳以降に年金を受給するのが基本になっていますから、
若いときにより多く稼いでより頑張った方が老後においても安心できる、
というのが基本的な制度設計だと考えられるでしょう。
もっとも、仮にそうだったとしても、
例えば、若くして亡くなってしまった場合、年金の保険料をいくら若いうちにたくさん払っていたとしても、年金受給の資格を得る前に結果的に「払い損」となってしまうことでしょう。
年金のように、
「先に我慢して、後で恩恵を得る」
といった仕組みに乗っかっていると、結果的に得をすることもある一方で、
「恩恵を得る前に亡くなってしまうと払い損」
という側面も存在します。
例えば、若い頃に我慢して、複利によって効率的に投資によって資産形成をすることが得意な人がいたとしても、
その人が実際に本格的な恩恵を得ることができるのは、それこそ数十年先になる可能性があるため、若くして健康を損ない、例えば亡くなってしまえばあまり意味がない、という結果になることでしょう。
そういう意味では、月並みですが、
健康こそが最も大事
と言えるでしょう。
いくら効率的な資産運用が得意でも、若くして亡くなってしまえば意味がない
ということです。
特に若い人の場合は、健康というのは
「あるのが当たり前」
と感じやすいのですが、
病気になった時、
働けなくなった時、
そこまでいかなくとも、調子が悪い時、
健康が一番大事であったことに気が付くことでしょう。
私の身近な人の中にも、
「高収入だけど、激務が当たり前なので、健康を害している」
という人は散見されます。
それでも、彼らは何らかの目的のためにその激務を続けることが多いのですが、
その状態を続けることが彼らにとって長期的に見て真に幸せなのかは傍から見ていてやや疑問が残ります。
「長生きする」
「健康体でいることができる期間が長い」
というのはそれ自体が大きな優位性を持ちます。
特に、健康寿命が長い人というのはたったそれだけで大きな恩恵を得る可能性に満ち溢れています。
それゆえに、
いくら効率的な資産運用が得意でも、若くして亡くなってしまえば意味がない
ということも同時に強く感じるのです。
今年も、
「まずは、生き残りましょう」