生物の中には、子供の姿と大人の姿が全然違うものが存在します。
代表例としては、蝶が上げられると思います。
小さい頃から昆虫図鑑などを見て、
卵→幼虫→蛹→成虫
というプロセス(完全変態)によって蝶に生まれ変わることを知っている人はともかく、
そうでなければ、
同じ生物であっても、
幼虫と成虫に対して、
「全く違った生物である」
と認識するでしょうし、
蝶のような成虫を見ると、
「最初からずっと蝶の姿だったのではないか」
と感じることでしょう。
いわゆる、みにくいアヒルの子もそうですが、
「昔は全然違う姿だった」
ということはそれなりによくあるようです。
そして、これは変態のプロセスによる成長を行わない人間においても似たようなことが言えるでしょう。
誰もが「すごい」といいたくなるような人は、まるで蝶のようにキラキラ輝いて見えることから、
「あの人があんなにすごいのは才能があったから」
といったことを考えて、
「最初から蝶のようだった」「最初からすごかった」
と思い込んでしまいます。
しかし、実際には、蝶の完全変態のように劇的な変化まではなかったとしても、
誰しも、幼虫のように、
「しょぼい」
「大したことがない」
といった状態からスタートして段々と蝶のような状態に近づいている、
ということが知識を得ることによって段々と見えてくるようになります。
例えば、
いわゆる「億り人」と呼ばれる人であっても、
金持ちの家に生まれついた生まれながらの「億り人」ともいえる人、すなわち「最初から蝶だった」というような人も確かに存在する一方で、
最初は、資産額0円、すなわち、卵の状態から段々と資産形成を進めていって、段々と蝶のように成果を上げていく、周りから見えるようになる、といったタイプの人も存在します。
数で言えば、後者の方が圧倒的に多いでしょう。
卵→幼虫→蛹→成虫
というプロセスが確かに存在することを知っていると、
蝶を見て、「昔は幼虫だったのだな」と感じるように、
すごい人を見ると、
「少しずつコツコツやっていた時期もあったのだろうな」
ということが見えやすくなります。
これは、何かを一から始めようとする人にとっては朗報といえるでしょう。
知識がなければ、蝶を見るたびに「あれは最初から蝶だった」と思い込んでしまうものですが、知識があれば、「どのように蝶になったのか」ということがイメージしやすくなってきます。
「誰しも最初から蝶であったとは限らない」
そういう認識を持つことは地味に重要なのです。