一般的に、「健康」というのは高い価値を持っています。
何をするにしても、健康というのは非常に重要であり、
「健康寿命」
という言葉に象徴されるように、健康でなければ人生の意味がない、生きている意味がないとすら言えるかもしれません。
しかし、このような考え方は
「健康ではない人」
にとっては残酷な考え方かもしれません。
例えば、
持病があって定期的にその症状に苦しめられている人
などは、
健康であることの価値の高さをよくわかっているからこそ、このような考え方を聞くたびにどうしても辛い気持ちになるかもしれません。
「もっと健康であればよいということはわかっているけれども、どうすることもできない」
「もっと健康であれば色々なことに挑戦ができるのにそれができそうにもない」
と感じざるを得ないからです。
私自身も、そこまで頻繁に、というわけではないものの、時折、健康を害する症状に悩まされることがあり、その度に、
「このまま自分が死亡する可能性があるかもしれない」
ということは嫌でも脳裏によぎります。
そして、
「やはり、健康であることは極めて大事だ」
と痛感するのです。
しかし、その一方で、このようなことも感じます。
「もしかしたら、こうやって不健康な状態になってしまうことにもある意味でメリットがあるのではないだろうか」
と。
具体的には、
「調子に乗ってどんどんリスクテイクをしてしまうのを事前に避けることができる」
という大きなメリットがあります。
私たちは何か物事を始めたり、未来に対する予測を始める時には、
「今のように調子が良い状態が永遠に続く」
と想定しがちです。
それは例えば、勉強計画、事業計画、投資計画など、様々なことに言えることでしょう。
しかし、残念ながら同じように調子が良い状態が続くということは極めて稀であり、大抵の場合、何らかの事情で調子が悪い状態がやってきます。
動くはずのない前提が変わってしまうこともよくあります。
そして、調子の良い状態が永遠に続くことを念頭に置いた計画というのはあっけなく瓦解します。
もしかしたら、単に瓦解するのみならず、マイナスの結果をもたらすこともあるので、
「こんなにリスクを取らなければよかった」
「もっと悪い想定もしておくべきだった」
と感じ、強く後悔するかもしれません。
投資の世界でもそうですが、良い結果が出るとどんどんリスクを取って更なる成果をあげたくなります。
「こんなに儲かっているのだからもっとレバレッジをかけてリスクを取った投資をしてみよう!」……と。
しかし、その結果上手くいくこともある一方で、リスクを取りすぎたがゆえに残酷なまでに悪い結果をもたらすこともあるのです。
投資で破綻する人というのは多くはこのようなパターンに陥っているようです。
これは私たちが、
「適正なリスクを取りたくても、それがどの程度の物なのかなかなか正確に把握できない、想像がつかない」
というバイアスに由来するのかもしれません。
しかし、このように、
どうしても、ついつい、調子に乗らざるを得ない事情がある場合
であっても、
不健康な状態になった瞬間に、
「このまま自分が死亡する可能性があるかもしれない」
「このまま調子が悪い状態が続くかもしれない」
という悪い想定が嫌でも脳裏をよぎります。
そして、
「ちょっと今は調子に乗るのはやめておこう」
「リスクを取るのはちょっと控えめにしておこう」
という気持ちに嫌でもさせられるでしょう。
特に、周りの人が、
「○○をやると儲かる!」
とか
「さっさと××しよう!」
といった威勢を良いことを言っていて、かつ、目を惹くような結果をしっかりと出しているのを見ると、
「羨ましい」
とか
「自分もそっちに行ってみよう」
と感じるものですが、
不健康な状態だとそれどころではないので、そのようなリスクを取ること自体を結果的に避けざるを得ないのです。
このようなことは、結果的に、
運が良かった
と言えるような結果をもたらす可能性すらあるでしょう。
今、不健康な状態にある人は、もしかしたら、
「やりたい活動ができなかった、自分は不幸かもしれない」
と感じているかもしれません。
しかし、私としては、「実は、そうとは限らないのではないか」と感じるのです。
「不健康な状態にある人」は大変だと思いますが、せっかくなのでそのメリットは存分に享受しましょう。