株式投資が代表的かもしれませんが、
「投資」
というフレーズに対して、
忌避感
のようなものを抱いている人たちが一定割合で存在します。
いや、むしろ、一定割合どころか、
広い範囲で見れば、そのような人の方が割合としては多いのかもしれません。
彼らは、
「いやいや投資なんて!自分はやらないよ!」
という具合に、
投資に対して前向きになれないようです。
しかし、そのような人であっても、
多額の住宅ローンや多額のカーローンを貯金額が大幅に少ない状態で組んだり、
一つの勤め先の身での勤続に多くの労力を割いていたり、
外貨を得ることなく、円でのみ預金をしていたり、
といったことを行っています。
これらは、まさに、客観的に見ると、
集中投資
と呼べるような行動でありますが、
投資に対するイメージが乏しい人にはそのような自覚はなかなかありません。
逆に、投資に対して過度な忌避を行っていない人の方が、
「今の自分の行動は集中投資と同じだな」
「副業するなり転職活動するなりして、リスクを分散できるようにしよう」
という自覚を持って必要な対策に着手している傾向にすらあります。
それどころか、どこかのタイミングで、
「ていうか、人生って結局、全部投資じゃないか!?」
と感じるようになるでしょう。
すなわち、人は皆、無意識なのか、意識的になのかは問わず、人生において、時間などを始めとした「若さ」を他の何かに転化するための投資活動を行っているのです。
勤め人の中には、
「今の自分は、まさに、時間を用いた集中投資を行っている」
ということに一つの勤め先で同じ仕事ばかりやっている人は自覚せざるを得なくなるのでしょう。
そこから、
「何か他の事をやった方がいいかもしれない」
と分散投資に目が向くようになるでしょう。
しかし、集中投資を自分がやっていることに自覚的ではない人は、このような発想になかなかなりません。
そして、その集中投資の効率が下がって、例えば、勤め先から追い出されたときになってはじめて、
「あれ?自分はどこで間違えたのか?」
「どうするべきだったのか?」
と途方に暮れることになります。
このような事態を防ぐためには、
「自分の行動はそもそも投資活動である」
という観念を頭にインストールする必要があるでしょう。
若い頃から、株式投資などを行っている人たちはこのような観念がインストール済みであることも多いため、新たに何かをする必要がないのです。
そういう意味では、
「投資」
というものに若いうちから触れておくことはそれだけで大きなメリットがあると言えるでしょう。