最近、とある金融機関の行員と融資関連の話をしていて思ったことがあります。
それは、
「万が一、突然、自分自身が亡くなったらどうするのか」
という問題意識です。
融資の話をする際には、私自身の個人の属性や私自身が経営している会社の状況などを多角的に見られるわけですが、
どうも、金融機関の行員と話をしていると、
私が突然死んでも融資に関してしっかりと返済されるのか
という問題意識を強く持っていることが言葉の節々から伝わってくるんですよね。
金融機関の立場から見ると、私が生きている間は稼いでいるからちゃんと返済されるだろう、という目線ではあるようなので、それゆえに、私自身が突然死んだらどうなるのか、というリスクを中心に考えているようなのです。
私自身は、実は、
「できれば長生きしたい」
と考えているので、普段の生活では、自分が亡くなった後のことを考える機会が乏しかったりします。
というか、
「22世紀まで生きたい」
というのが率直な希望です。
とはいえ、山あり谷あり、一体何が起こるのかが良くわからないのもまた人生です。
このような文章を書いている最中にも、
「うっ!」
みたいな声をあげて突然死、といった事態が発生する可能性も否定しきれません。
油断ならないですよね。
多くの人は、本能的に、
「自分が生きているのは当たり前」
とどこかで思ってしまうものですが、
その状態が永遠に続くとは限らないという当たり前の認識を頭の隅に持っておくこともまた重要でしょう。
いつ死んでもいいように若いうちから考えておくべきことは重要です。
亡くなるパターンについては、突然死の場合もありますし、自宅で衰弱死もあり得ますし、入院したまま死亡といった色々なパターンが考えられますのでそれぞれを網羅することはなかなか難しいですが、
少なくとも、
推定相続人は誰なのか?
どのような遺言を残すのか?
遺産は債務も含めてどのような状態か?
経営している会社をどうするのか?
といった、自身の死亡という事実によって起こる出来事に対して思いを巡らせることは重要になりますね。
そのように考えていくと、
「35年後辺りにはどうなっているのだろう?」
「その時に向けて今から何をやるべきなのだろう?」
といった比較的長めの未来についても思いを巡らせやすくなります。
多くの人は、本能的に、
「自分が生きているのは当たり前」
とどこかで思ってしまうものなので、自分が亡くなった後のことを考える機会が乏しかったりします。
長期的な融資を行う金融機関の行員と話をすることによって、
「自分が突然亡くなったら、その後どうするのか」
という問題意識を掘り下げやすくなりますね。
このようなことがあるので、
自分とは違う目線を持った他者と話をするのは有意義だと感じます。