世の中に対して、
「あっ、何か来る」
と自分で何かを察知してその場から速やかに動ける人もいれば、
その一方で、ギリギリになるまで何も気づかずに、ようやく気付いた頃にはもはや手遅れになっていた……というパターンがあります。
察知する力が強い人は当然早く行動したり、対策を練っていたりするため、結果的に難を逃れることも多いようですが、
これに関して、自分自身で気づくことができる人というのは意外と多くありません。
むしろ、自分で気づくことができないがゆえに、他人に頼る場面は意外と多いです。
例えば、人間よりも、感度の高いカナリアに頼って、その場の危険度を判断する場合があります。
これは、
「炭鉱のカナリア」
とも呼ばれており、投資の世界などでも、引用されることが多い言葉です。
人間では決して危険を察知できないところ、カナリアの存在によって、
「ここはもう危ない場所だ」
「逃げないとまずい」
と気づくことができるようになるため、それを知っている人はすぐに行動をすることができます。
もちろん、これを知らない人は、
「カナリアの様子がいつもと違う」
ということしか認識することができないので、危険を察知することができず、逃げ遅れる可能性があるため、知識が非常に重要であることを物語っています。
昔は、村の長老のような形で賢者ポジションを取っている人が一部おりましたが、
今は、SNSなどもあるため、知識が多い人のみならず、危険を察知した一個人の何気ないつぶやきがヒントになることがあります。
このような「炭鉱のカナリア」「虫の知らせ」については敏感であればあるほど、難を逃れやすいです。
カナリアなどに頼ることすらなく、自分自身で危険を上手く察知できる人もいますが、実際のところそういう人は少数派です。
特に、自分の専門分野を離れると察知力は急激に落ちます。
むしろ、自分よりもその分野に詳しい人が、何か危険を察知したかのような言動をし始めた場合に、その言動に注目した方が良いでしょう。
「自分は「気づける人」ではないかもしれない」
という想定があれば、
「では、誰が言及したら気を付けた方が良いのだろうか?」
という問題意識が芽生えるでしょう。
そうすれば、
「この人に着目しておこう」と考えて、自分にとってのカナリアを見つけ出せるかもしれません。