世間においては、
「一般的に良いとされる物」
とか
「取り敢えず持っておくと周りの人から「すごいね」と言われる物」
などが存在します。
それは、例えば、
高学歴
かもしれませんし、
高収入
かもしれませんし、
良い家を所有すること
かもしれませんし、
容姿が良いこと
かもしれませんし、
高級時計を身に着けていること
かもしれません。
このような物を手にしていないと「すごいね」と周りから言ってもらえないと人生のどこかで学んだ人は、このようなアイテムや記号を必死になって追いかけます。
そして、その獲得ができた場合に、他人から
「すごいね」
「羨ましい」
と思われることに一瞬満足できるかもしれませんが、
どこか、
「あれ、ここまで色々な物を手に入れているはずなのに、自分の人生、どこかパッとしないな……」
と感じる時がやってきます。
虚しさ感じるのです。
というのも、様々な物を手に入れると「すごいね」と言われて、さぞモテるようになるのかと思いきや、
「案外、モテるようにならない」
ということもありえます。
いや、厳密には、モテるようになるのかもしれませんが、自分が獲得してきた物に表面的に惹かれる人が増えるだけで、自分が求めているような人にはモテなくなる可能性すらあります。
本人が求めているような「まともな人」というのはそのような表面的なスペックのようなものに関心がない、ということもよくあるものです。
あまりにも世界が違いすぎて友達をいつの間にか失っている人もいます。
それに、
「頑張ったわりにあんまり褒めてもらえない、すごいね、と言ってもらえない」
という感覚をどこか味わうこともあります。
もともと、人というのは「自分は周りからどう思われているのか」ということは非常に気にしますが、よっぽどゴシップ好きの人ではない限り、他人に関する関心は薄いものです。
そのため、他者からの承認欲求が強すぎる人は、
「こんなに色々と頑張ってきたはずなのに、コスパがあまり良くない気がする。結局、本当に欲しかったものが得られていない気がする」
と虚しさ覚えてしまいやすいです。
他人からどう思われるのか、という点は、社会において生きていくうえではある程度大事になるかもしれませんが、最後には、
「自分が本当にやりたいことは何か」
「自分が本当にありたい姿は何なのか」
という点が果たされるか否かが大事になってくるのでしょう。
高学歴や高収入のような他人から評価される記号を得ていないと幸せになれないかのような強迫観念を持っている人は、時折見かけますが、
そのような他人から評価される記号ばかりを追いかけていると幸せを逃してしまう可能性にも目を向けた方がいいのではないか、と感じるのです。