「過去を変えることはできないが、未来は変えられる」
そんな話をよく聞きます。
このような話を聞くと
「そうだよね、あまり良いことがなかった過去は仕方がないとして、取り敢えず、それはもう忘れて未来に目を向けよう」
と考える人も多いことでしょう。
要するに、過去に起こった
「悪そうな出来事」
は綺麗すっぱりと記憶の中から消して、前を向いて歩く、ということを考える人が多いかもしれません。
しかし、実際には、過去というのは後々のタイミングで上手く活用することが可能です。
過去に起こった
「悪そうな出来事」
があったとしても、
その出来事、過去に存在した事実は変えることができなくても、
それに対する評価を変えることは可能です。
一見すると、
「悪そうな出来事」
が過去に存在したとしても、
その出来事を変えることなく、それに対する評価を上手く変えることができるのです。
例えば、現在借金まみれで、大変な思いをしている人がいたとしても、
数年後に、借金まみれの状態から見事に回復した場合には、
「借金まみれの状態からの大逆転!」
という物語を語ることが可能であって、
その場合の、
「借金まみれ」
という過去に起こっていた事実そのものに対する意味合い、評価を上手く変えることができるのですね。
終わり良ければ総て良し
とも言われますが、
物語の途中の出来事というのは、その前後の出来事その関連によっていくらでもその意味合いが変わります。
別の表現では、
人生は常に過渡期
とも言えますね。
すなわち、目の前において、一見すると「悪そうな出来事」が起こったとして、その出来事が存在した事実は変えられなくても、上記のことを念頭に置いている人は、
「この出来事は後々使えるかもしれない」
と考えながら、未来に進みます。
そういう意味で、過去を完全に捨てることなく、まるごと活用しながら、前向きに未来を見据えるのです。
このような視点を持っている人というのは、
長期的な視点で物を考えることが可能でしょう。
例えば、過去に詐欺などで10万円を騙し取られた、といった経験をしたとしても、
「この出来事によって、気を付けないといけないポイントが●●だということがわかった。100万円などのもっと大きな金額で詐欺の被害に遭う前に対策を考えるきっかけを得ることができた」
と考えることが可能です。
「授業料だった」
というセリフは上記のような発想から来ています。
10万円を実際に騙し取られた瞬間にはそこまで頭を切り替えることは難しいかもしれませんが、落ち着いて考えると、このような視点で物を考えることが可能です。
人生というのは、どうしても、
「嫌な出来事」
などに遭遇してしまい、落ち込んだり、ネガティブな気分になってしまいがちです。
そのような状況であっても、
「この出来事は後々使えるかもしれない」
と考えられる人は、最終的に自分の人生を丸ごと受け入れることが可能でしょう。
「過去を変えることはできないが、未来は変えられる」
そんな話を聞くたびに、このようなことを考えるのです。