錯視
をご存知でしょうか。
例えば、
以下の画像をご存知でしょうか?

そして、
「この図の中に丸はいくつありますか?」
という設問が出た場合、回答が出せるでしょうか?
人によっては
「丸が一つも見つけられない」
と感じる人もいるようです。
実際に親子でこの設問に挑戦して
親だけが全く丸を見つけられず悶々としているところ
子供だけが早々に丸をいくつも発見できる、ということもあるようです。
そして、
子供「簡単じゃん」
となる一方で
親「……????」
となってしまうこともあるのですね。
この画像には実は16個の丸が存在する
のですが、
これを見つけられる人は簡単に見つけられる一方で見つけられない人は画像の見方が全く違うので一つたりとも見つけられないのですね。
このように、
他人と同じ物を見ているはずなのに実は全く違う見方をしていた
といったことや
他人と同じ物を見ているはずなのに、一部の人は気づきを得られる一方で大多数の人は全く何の教訓も得られない
といったことが起こることがあります。
そして、これは
気づいた人が全く気付かなかった人に対して教えなければ永遠に気づかなかった人はその学びを得られない
ということにもつながります。
例えば、
家庭Aと家庭Bにおいて全く同じタイミングで同じニュースを見ていたとしましょう。
家庭Aの長男はこのニュースを見ていて他の人が気づかなかったことに気づいたとしましょう。
そして、その気づきを家庭Aの他のメンバーに共有することができます。
これによって、家庭Aの他のメンバーが本来気づかなかったことであっても家庭Aの長男のおかげで気づくことができるようになります。
一方で、家庭Bにおいては誰も家庭Aの長男のような気付きを得ることができなかったとしましょう。
誰一人として気づかなかったことから、家庭Bにおいては家庭Aの長男が気づいたような知見を共有される機会は訪れません。
仮に、家庭Aと家庭Bの間で交流関係があれば、そのうち家庭Aの長男が気づいたことについて家庭Bのメンバーにおいて共有される可能性はあるかもしれません。
しかし、そもそも交流関係がなければそれが共有される可能性は著しく低くなりますし、
交流関係が多少あった程度では家庭Aの長男の気づきが家庭Bのメンバーに直ちに共有されることは少なく、少なくとも時間差が生じる可能性があります。
そして、この時間差というのは1時間や一日といったレベルにとどまらず、
場合によっては、
10年間
とか
50年間
と言ったスパンにまで至る可能性があります。
このようになってくるとその人の人生に影響するレベルになってくるでしょう。
気づきの内容によっては人生が大きく変わるレベルのインパクトがあるかもしれません。
とすると、
①自分自身が早い段階で気づける人になる
か
②早い段階で気づいていた人から教えてもらえるようになる
かの二つぐらいしか実際には対策できない、ということになります。
そして、思うに、
①自分自身が早い段階で気づける人になる
のはかなりハードルが高く、一生かけてもこのような人にそもそもなれない可能性もあります。
その一方で、
②早い段階で気づいていた人から教えてもらえるようになる
の方がかなりハードルが低く挑戦しやすいと考えられます。
上記の例で行けば、
家庭Aのメンバーになってしまう
といったやり方や
家庭Aのメンバーとの交流関係を深める方法を探す
といった方法があり得ます。
家庭Aのメンバーそのものになる方がおそらくはハードルが高いでしょう。
これは教育機関の文脈で行けば、例えば、
ハーバード大学に入学し、その大学の学生になる
というようなレベルのハードルの高さです。
人によっては
さすがに今からそれを目指す気力はない、
と感じる人もいるでしょう。
とすると、
家庭Aのメンバーとの交流関係を深める方法を探す
といったほうがハードルが低いかもしれません。
例えば、ハーバード大学において在籍している人が出した研究成果などを見るといった方法です。
人によっては本を出版している人もいると考えられますので、それを書店で見るという方法があり得ます。
このように、
気づいた人が全く気付かなかった人に対して教えなければ永遠に気づかなかった人はその学びを得られない
という構造に気付くことができれば、
気づいた人の知見を自分にも共有してもらえるような状況を創らなければいけない
ということに気付くことができるようになります。
そこから、
では、自分はいったいこれから何を頑張ればよいのか?
ということを考えられるようになると具体的な打開策が浮かぶことでしょう。
さて、話は戻りますが、
冒頭にも挙げた下記の画像に16個の丸を見つけることはできましたでしょうか?

見つけられなかった人は、
気づけなかった人に該当しますので、
まず、
どうやったらこの画像から16個の丸が見えるようになるのか?
という問いに対する回答を探しに行くことをおススメします。
この回答を探すことができれば、
気づけた人は気づいていなかった人とは全く違うものの見方をしていた、
ということが実感できるようになるでしょう。