昔からゲームを触っているときに感じていたことがあります。
クリア後のやりこみ要素が充実しているゲームは個人的に楽しくプレイできる
と……。
特にRPGにおいては、
シナリオ
というものがあり、
それに大筋沿った行動をしながら要所要所で敵を撃破して、
ラスボス
と呼ばれるキャラクターを倒してエンディングを迎える
という
お約束
のようなものがありました。
したがって、
シナリオ通りにプレイヤーを進めてラスボスを倒した段階で、
シナリオクリア
という状況になります。
これによって、
半ば義務的に、クリアしなければいけない要素はクリアした、といえる状態になります。
この状態まで行けば、
「とりあえずクリアした」
と対外的に表明できる状況になります。
そして、そこから先の
クリア後の要素
をどこまで追求するのかは人それぞれです。
例えば、
プレイヤーのレベルをカンストさせるまで、限界まで上げるのもよいですし、
所持金額をカンストさせるまで、限界まで、上げるのもよいですし、
例えば、図鑑のような物を完成させるためにさらに冒険を続けるのもよいでしょう。
これらは
クリア後のやりこみ要素
と呼ばれるものですが、
どのようなゲームをするにしろ、
このようなクリア後のやりこみ要素に幅があってその人のこだわりに沿ってこだわりぬける、そんなゲームは個人的に高評価だったことをよく覚えています。
そして、同じように感じている人は多いのではないでしょうか?
思えば、
シナリオクリア
というのは、
ゲームの製作者によって定められたルートをシナリオ上の都合で歩かされている節がありますが、
クリア後はそこから一定程度の解放が存在します。
この解放によって、すなわち、
これから何をしてもよいという自由を得て、
「何をしなければいけないのかわからなくなったからこのゲームにはもう興味がない」
と感じる人もいれば、
自分なりのやりこみ要素を見つけたうえで、
「シナリオはもうクリアしたから、次はこの要素を追求しよう」
と感じられるものを見つけて、
やりこみ要素を追求することに充実感を感じることができる人もいます。
特に、後者のような状況になったときに、
「このゲームはやっぱり楽しい!!高評価!!!」
と感じられるようになるのでしょう。
そして、人生もこのようなゲームと似たようなところがあると感じます。
最初期の時はどこか、
レールの上を歩く人生
とも呼ばれるように、
特定の道の上を歩かされているような感覚を覚えることがあるでしょう。
誰かに定められたシナリオの上を歩かされている、そんな気持ちになるかもしれません。
もし、そのシナリオから抜け出したとき、
その人は、何をしてもよい自由を得ることができるかもしれませんが、
同時に、
「解放はされたけど、何をすればよいのかよくわからなくなった」
と感じる可能性もあるでしょう。
例えば、アーリーリタイアしている人などが時折感じるとされる、
「もう何もしたいことがない。つまらない。」
という感覚です。
しかし、自分なりのやりこみ要素に熱中している人というのは、特定のシナリオ、いわゆる人生のレールと呼ばれるものから外れたとしても、
「人生はやっぱり楽しい!!高評価!!!」
となることでしょう。
そして、このような自分がこだわり抜けるやりこみ要素を自分で見つけて取り組める人というのは、充実感を伴った人生を歩むことができるでしょう。
そして、
「レールの上を歩いていた時よりも今の方が楽しい」
そう感じるようになるでしょう。
人生もゲームもシナリオクリア後のやりこみ要素の方がハマると面白いのです。
それでは、
あなたがハマることができるやりこみ要素はいったい何なのか?
というのが気になると思われますが、
それを他人から教わることは稀でしょう。
あなたが何に熱中できるのかは他人が決めることはできません。
最終的には自分自身で見つけに行くことになります。
しかし、見つけることさえできれば、強い心の充足を味わえるようになるでしょう。