世の中には、
奇跡を起こせる人
が存在します。
奇跡というのがどの程度のものかはそれぞれの場合によるのでしょうが、
おおよそ、
「絶対に無理」と言われていたこと
や
不可能だと言われていたこと
を達成してしまった人が、
奇跡を起こせる人
という見られ方をするようです。
奇跡を起こせる人というのは滅多にいないので、
私たちはそのような人を見ると、
とんでもない才能の持ち主
とか
稀代の天才
といった形で、何か計り知れない特別なものをその人が持っているように考えがちです。
しかし、実際には、そのような人であっても、
細部まで分解をしていくと、一つ一つのことはよく見ると大したことはやっていない、という場合があります。
しかし、一つ一つがそのような
「大したことがないこと」
であっても、それが飛び抜けた量の行動量や試行回数になった時、あるいは何か特異な成果を出したとき、
それに対して、全体的な印象として、
才能
のように見えてしまうのです。
そして、奇跡を起こす人の最大の特徴は、
とにかく諦めが悪いこと
に尽きるでしょう。
「絶対に無理」
とか
「それは不可能だ」
と周りから言われても、
「それは、本当に無理なのか?」
「それは、本当に不可能なのか?」
と諦め悪く問い続けているのです。
世間で言われている必要なことというのは実はよく見ると必要ではないことがあったりします。
実際には、
「なんだか、無理っぽく見える」
とか
「なんだか、不可能っぽく見える」
という程度でも、
「絶対に無理」
とか
「そんなの不可能だよ」
などとノリで喋ってしまう人は数多くいます。
例えば、就活などで、特定の企業の従業員を調べた時に、
全員特定の学歴を有している人物
であった場合、
「あそこの企業は学歴フィルターがあって、●●という学歴を持っている人しか採用しないらしい」
などといった真偽不明の噂は流れがちですし、
「つまり、●●という学歴を持っていない私が採用されるのは絶対に無理」
とか
「●●という学歴を持っていない私が採用されるのは不可能」
などといったことを考えがちです。
なんだか、無理っぽく見える
とか
なんだか、不可能っぽく見える
というだけでそれ以上深く追求せずに、
「ダメだ。諦めよう。」
となるとそこでもう試合終了です。
一方で、諦めの悪い人は、そういう思考にならず、
「本当に、●●という学歴を持っていない私が採用されるのは絶対に無理なのか?」
とか
「本当に、●●という学歴を持っていない私が採用されるのは不可能なのか?」
と、突破口を見出せないかどうか考え始めます。
そして、
「もしかしたら、新卒採用では難しくても、中途採用ならば可能性があるのではないか?」
とか
「信用のある人物からの紹介を通じるならばアピールの場ぐらいはもらえるのではないか?」
などといった形でいろんなアイデアを思いつき、それらを試してみることができます。
このように、試行錯誤を重ねていくと、そのうち、そのどれかのアイデアが上手くいくことがあるのです。
奇跡を起こす人はこのようにとにかく非常に諦めが悪いことが最大の特徴と言えるでしょう。
このように、
奇跡を起こす人は「それは、本当に無理なのか?」「本当に不可能なのか?」と問い続けているのです。