私は近年、公共交通機関としてのバスを利用する頻度が少なくなってきています。
というのも、特に都心にいると電車やタクシーの方が使い勝手が良いからですね。
しかし、かつて私がはじめて利用した公共交通機関は田舎のバスだった記憶があります。
今となっては、バスに乗ることについて大きな抵抗感はありません。
しかし、小さい頃(小学校低学年頃)にはじめてバスに乗った際には、
ものすごく強い不安感
を感じたことをよく覚えています。
というのも、
当時利用したバスと言うのは同じ停留所にいくつかの種類のバスがダイヤに合わせて来るタイプの物だったため、
取り敢えず、目の前に来たバスに乗り込めばよい
といった簡単なものではなかったからです。
もちろん、今となっては、
「そんなの、そのバスの行き先の表示を見れば乗るべきバスか乗るべきではないバスかわかることじゃないか」
と感じるのですが、
当時は、
「行き先A」
と
「行き先B」
のバスが存在する時に、
一体どちらに乗るべきかが自信がありませんでした。
しっかりと、停留所にある路線図を見れば、私の目的地に着くために乗るべきは「行き先A」のバスであることはわかるようになっていたのですが、
それでもなお、
「『行き先A』に乗って大丈夫、なのか……???」
と不安を抱えていました。
今思えば、仮に間違った行き先のバスに乗ってしまったとしても、
「なんだか、方向が違う」
と思った瞬間にバスから降りてしまえばよいと思えるのですが、
しかし、当時の私は、
「仮に、行き先のバスを乗り間違えてしまうと、周りの景色を見て、そもそも行き先を間違っていることに気付く自信がない」
とか
「そもそも、間違ったと気付いても次の停留所に着くまでバスから降りることができない」
とか
「仮に、バスから降りたとしても、そもそも、バスの本数が少なすぎて戻ってこれる自信がない」
とか
「行き先を間違ってしまうと、行き返りの分のバス代を取られてしまうだろうけど、そこまでお金持っていない」
とか
そういった強い不安感を感じていました。
おそらく、
「あなたは、こっちのバスに乗ればいいんだよ」
「ほら、このバスだよ」
とはっきり言ってくれる人が近くにいてくれたらこのような不安はなかったのでしょうが、
当時はそんな人が近くにいなかったので、
停留所にある路線図の情報などから、自分自身で乗るべきバスを見極める必要があったのですね。
見る人が見れば、
「なんだ、行き先Aに乗ればいいのか、楽勝」
と感じるのですが、
乗ったことがない人というのは、それなりの情報が目の前に出ていたとしても、情報の取捨選択や判断が上手くできずに、
「???」
となってしまい、自分自身で導いた結論にすら自信が持てないのです。
そして、場合によっては、
「怖いので、そもそもバスに乗らないようにする」
というもっとも無難な選択をするかもしれません。
あるいは、
「自分が乗ったことがあるバスにしか乗らない」
ようにする人もいるかもしれません。
当時の私は結局バスに乗って無事に目的地に着いたのですが、場合によっては上記のような判断をすることもあり得るでしょう。
生まれてはじめてバスに乗る時は誰もが怖がることでしょう。
どれかのバスは目的地に着く可能性があるとわかっていても、
「本当にこれに乗って大丈夫なのか?」
とか
「乗ったら引き返すのが大変なのではないか?」
と感じたり、
場合によっては、勇気を出してそのバスに乗ってみた後に、
「このバスは本当に私の目的地に着くんですよね????本当に大丈夫ですよね?????」
と車掌さんにいちいち確認してしまう人になる可能性もあります。
バスにおける目的地のように小さな用事に限らず、
あなたが人生の岐路に立たされた時に、適切なバスに乗れるかどうかはかなり重要です。
「あなたは、こっちのバスに乗ればいいんだよ」
「ほら、このバスだよ」
と教えてくれる人が近くにいるかどうかはかなり重要になってくるでしょう。
そういう人がいないと、
いつまで経ってもバスに乗れなかったり、バスに乗った後も、
「本当にこのバスは目的地に着くんでしょうか???不安だから私はもうバスから降りたいです」
などと言いだすかもしれません。
不安感に負けてしまい、自ら正解だったバスから飛び降りてしまう人もいるかもしれません。
このバスならば正解であるという確信はそれほどに重要になってくるでしょう。
確信がないと、「このまま頑張ればよい」という気持ちになれないので、目的に対して集中できなくなってしまうためです。
生まれてはじめてバスに乗る時は誰もが「これに乗って本当に大丈夫なのか?」と怖がるものです。
それだけに、あなたが何かに挑戦したい場合、
知恵を持っている人、すなわち、
「あなたは、こっちのバスに乗ればいいんだよ」
「ほら、このバスだよ」
と教えてくれる人を見つけることが重要になってくることでしょう。