仕事に関して、
前倒しで完了してしまう人
もいれば、
その場で臨機応変に対応する人
もいれば、
なかなか追いつけずに詰んでしまう人
もいます。
これに関連して、夏休みの宿題に関する姿勢も人によって様々です。
さらに、これに関連して、私が個人的に思い出したのが、
「とある数学の授業中に2回先の授業の予習をやっていたころがあったな」
ということでした。
すなわち、私が通っていた学校の数学の授業中には、予め指定されたテキストに存在する問題を解きながら解説をするというスタンスを取っていたのですが、
その解説を小耳に入れつつ、2回先の授業のテキストに存在する問題を解いていたので、
授業を受けて問題の回答が合っているのかを確認しながら先の予習も同時に行う
ということをやっていました。
私が通っていた学校は、田舎の学校だったので、都会の学校よりもはるかに進度が遅く、かつ、出席点などというものが一応存在していたので、それを満たすためだけに一応出席していたため、結果的にこのようなスタンスをとっていた記憶があります。
そして、出席点をギリギリ稼いだら、残りはほぼ不登校状態でした。
このような取り組みを今振り返ってみると、
「あらかじめ予想される仕事が実際に来る(当該授業前になる)前に仕事(予習しなければいけないこと)を終わらせる」
ということがかなり心地よいことであることを実感します。
これは実際にやってみるとわかりますが、
とにかく余裕が違うのです。
余裕が存在するか否かはかなり大きいです。
余裕があるので、授業が実際に始まる前に実際に確認をして、
「あ、これちょっと違っていたかも」
ということも見つけることができるため、その場で修正することも容易です。
そして、最初から用意していたかのように授業に向かうことができるのですね。
近年は、
「学校で習ったことは社会で役に立たない」
「今後はAIとかがあるから、学校で知識を詰め込んだりするのは無意味」
といったことがまことしやかに囁かれています。
しかし、上記のような経験を振り返ってみると、学校教育のプロセスは仕事のプロセスと通じるところもあるため、知識そのものが陳腐化してしまったとしても学習の過程そのものは参考になるところが多いと感じます。