本当に幸せなのは、お金を持っている人ではなく、時間を持っている人である、とよく言われます。
これは私としても非常に実感しつつあります。
というのも、どうでもいいことで忙しすぎて自分の時間がほとんど無い時って、まず大したことを思いつかないんですよね。
忙しいということは目の前の問題を解決し続けることに自分の時間を使わされ続けている状態であって、時間管理のマトリクスでいうと、緊急かつ重要なことである第1領域の活動に忙殺されている状態です。場合によっては、第3領域の仕事もここに入ってきます。
第1領域の仕事を処理しているとなんだか仕事をしている気になるわけですが、しかし、実際には問題解決のための対症療法しかできていないことが多いです。
本当は、根治療法としての第2領域、すなわち緊急ではないが、重要なことをやるべきなのですが、目の前の問題をまず解決しなければいけない状況であるがゆえに、そんなことまで全く考えが及ばないのです。
よく、年収は高いけれども幸せを感じられない人、という話を聞くことも多いわけですが、これは第1領域と第3領域のために自分の労働時間を捧げなければいけない状況に置かれているからといえそうです。
逆に言えば、年収も高くて、かつ第1領域も第3領域に自分の時間を侵食されていない人というのは時間持ちでもあるといえるのかもしれません。
勤め人が幸せを感じられない場合というのは、自分の一日の時間を勤め先に売っている、そういう契約をしているが故にどんどん第1領域や第3領域の仕事が勤め先から投げ込まれ続けてしまって、その圧倒的な負債の処理のために自分の時間が押しつぶされてしまうからでしょう。
これが週5日で働いている勤め人が幸せになれないといわれる大きな原因となっているのだと思います。
したがって、週3日や週2日以内で働ける雇用契約がもっと普及すれば、勤め人側にも自分の時間を確保できる機会が増えて、幸せになれそうだと感じるのですが、なかなかこれはまだ広がっているわけではなさそうです。
これが広がってくるだけでかなり勤め人の幸福度が上がる余地が生まれるはずなので、早く週2,3日労働の流れが来て欲しいと私は感じています。
もっとも、時間持ちになったからといって、ではそれだけで直ちに幸せになれるのかというとそうでもない、という点が難しいところです。
金持ちもそうですが、時間持ちであっても、結局をリソースを持っているに過ぎず、自分が持っているそのようなリソースを使って一体何をするのか、というのが問題になってきます。
自分なりの人生哲学や、人生のビジョン、人生の目標を持っていればこの点は全く問題にはならないのですが、
とにかく、第1領域や第3領域の負債によって自分がつぶされかけている人は、そこまで考えておらず、とにかく今のまずい状況から脱することだけで精一杯の状態になっています。
このような人が時間持ちになったところで、第4領域、すなわち緊急でもないし、重要でもないことに時間を吸い取られて結局それだけで人生を終えることになります。
このような状態になると、受動的な姿勢でも楽しめるコンテンツを消費することに自分の時間を使うだけになるので、楽ちんな気分にはなれるのですが、それ以上の何かにはなれないのです。
その他大勢、凡人のままです。
そして、そのままいつの間にか人生を終えることになります。
一方で、自分なりの人生哲学や、人生のビジョン、人生の目標を持っていれば、自分にとって何が今後重要な事項になるのか、ということを考えられている状態になっています。
自分の人生の軸がこのようにきっちりしていて、芯がある人というのは、時間持ちになった場合に、その豊富な自分の時間を第2領域すなわち緊急ではないが、しかし、重要なことに普通の人とは比にならないレベルで投資しまくることが可能になります。
こうなった場合、第1領域や第3領域、そして第4領域の活動をほとんどすることがなくなり、まるで第2領域体質と言わんばかりの勢いで、第2領域の活動に全力投球することになります。
ここでいう第2領域の活動は、重要な活動の中でも最重要な活動、すなわち自己実現的活動になるでしょう。
それはさながら、アスリートのようであり、またプロフェッショナルのようでもあります。場合によっては、アーティストのようになる場合もあるでしょう。
ここまでくると、時間持ちであるににもかかわらず、端から見ると、ダラダラしているようには全く見えず、むしろ極めて超人的な、ストイックな人のようになります。
このように、時間持ちになるとこれにより、重要なことに完全に集中するための体制が整い、自己実現的活動に邁進することが可能になるのです。
このように、時間持ちになる→自己実現的活動に熱中する、という流れが私の理想です。
というよりも、これができないのであれば時間持ちになる意味はあまりないのではないかとも私は思うところです。
私も最近は一日中読書ばかりをしている日があるのですが、これは私にとっては第2領域の活動です。単に趣味だから本を読んでいるのではなく、これによって、自分の中で色んなアイデアを着想するために読んでいます。
そして、本を読みまくる習慣を付けると、自分にとって重要なことに関するアイデアがどんどん出てきやすくなります。
ここで、時間を始めとしたリソースがそこまでない人だと、アイデアを思いついたはいいものの、そのまますぐに忘れてしまったり、実行したくても手元のリソースが足りずに諦めざるを得なくなるということになります。
しかし、時間持ちになった人の場合、アイデアを思いついたら、「それをどうやったら実現できるのか?」とすぐに考え始めて、実際に行動に移すことが可能になるため、試行錯誤を経てアイデアをアイデアのままで終わらせずに現実の物として具現化することができるようになるのです。
ところで、偶に起業家がやっていることをみて、
「そのアイデアは自分もあったんだけどなー」
って思う時ってありませんか?
私は良くあります。
そのため、昔は、アイデアを実現している人を見ると、「それだったら私でも思いついた」などと考えていました。
しかし、今ではそのように考えていたことについて非常に反省しています。
というのも、アイデアとかをパッと思いつくだけだったら正直誰でもできるのです。
アイデアを思いついた上で、それを具体的なプランとする事業計画を立てて、実際に必要になるリソースを色んな所から調達することによって、実行し、それでようやくアイデアが実現できるのであって、その過程こそが最難関であるという認識がなかったのです。
そして、その最難関の壁を越えるための力を持っている人こそが起業家として成功できるのだということに思い至らなかったのです。
この圧倒的な壁を越えるために、お金が必要だったり、時間が必要だったり、あるいはそれ以外のリソース、例えば信用などが必要になるわけです。
それらの経営資源のようなものをまずは人生の前半においてきっちり用意できるようにならないと、自己実現的活動に邁進することが難しいという現実があるのですね。
もちろん、経営資源のようなものをひたすら高めて、お金を貯め、アーリーリタイアなどをするなどの行動により、まるで人生ゲームのスコアを高めるという楽しみ方もあるとは思います。
しかし、真に楽しいのは、ゲームのスコアを上げただけではなく、そのゲームにおいて自分なりの楽しみを追究したときではないでしょうか。
そのようなやりこみ要素を楽しみ尽くすのが、本当の人生の楽しみではないのか、と私は思うのです。
もっとも、楽しみ方は人それぞれです。
人生ゲームの通常ルートをクリアしただけで人生を終えることを良しとするのもよし、
それ以上に、自分のステータスを極限まで高める楽しみ方も良し、
自分のステータスを極限まで高めた上で、さらに自分なりにやりこみまくるという楽しみ方も良し、
ということですね。
いずれにしろ、人生ゲームの最大の特徴は「時間制限がある」ということに変わりはありません。
そのような縛りプレイを強いられていることを念頭に置いた上で、その上で、一度しかない人生ゲームを楽しみたい物です。