最近は、リセールバリューなどを意識してお得にお買い物をしている賢い消費者が増えてきていると私は感じています。
例えば、メルカリなどで家の中にあるものを売却することによって、物を無駄に処分することもなく、お金を節約することができるようになります。
情報通信革命、IT化により、自分よりも遠くの人とのコミュニケーションが可能になった現代だからこそこれができているという側面もありそうですね。
もっとも、自分よりも遠くの人、まだ知り合いですら無い人とコミュニケーションをとれるからといって、それは自分の近くの人、周辺の人をもう相手にしないという選択をすることを直ちに意味するわけではないと考えられます。
すなわち、メルカリなどで遠隔で物を売却するという方法とはまた別に、周りの人にも物を譲渡したりするというルートも同時に押さえておくことも重要であると考えています。
私はもともと人付き合いが得意なわけではないのですが、しかし、人間関係のポートフォリオを適切に管理することも重視しているので、ネットを介した遠くの人間関係も押さえつつ、いわゆる半径5メートル以内の人間関係も結局はある程度重視するべきではないかと考えています。
というのも、発想が現金だと思われるかもしれませんが、何かの危機があったときには、遠くの人は物理的に私自身に手を貸すことができませんが、物理的に近くの距離にいる人は物理的に手を貸すことができます。
これは私が相手を助けるときにも同じように成立する関係です。
そして、物理的に近くの距離にいる人や対面でコミュニケーションをとったことがある相手に関しては、一般的に信頼関係が生じやすいという側面があります。
これはおそらく、対面でのコミュニケーションによる情報量が、オンライン上でのコミュニケーションによる情報量をはるかに凌駕するという性質もあるでしょう。
とすると、たまたま人生のどこかで、物理的に距離が近い相手が存在する場合には、そのタイミングでなるべく対面でのコミュニケーションをとりつつ、信頼関係を築いておくことが重要になるのではないか、と考えています。
その上で、例えば勤め先の人間関係のように、ある程度の継続的な人間関係が存在する場合には、商取引における掛けの取引をすることがしやすくなります。
すなわち、売り掛け、買い掛け、の取引ですね。
この掛けの取引は一種の信用を積み上げる取引で、文字が発明されたときには、このような貸し借りの量を記載する用途で使用されていたと言われる位なので、ある程度の継続的な人間関係が存在する場合には、このような掛けの取引が行われることがよくあるようです。
なぜ、掛けの取引がされるのかと言えば、それはおそらく、商品交換における制約を攻略するためです。
貨幣が生まれた経緯についてよく経済学の教科書などで解説されるのは、お互いが欲しい商品がタイムリーに用意できないからとか、遠くの距離の人とは取引できないから貨幣が生まれた、といった説明になりますが、
現実的に考えると、他のコミュニティーから来た身元も良くしれない他人と取引をする場合には、1回性の取引が前提となるので、貨幣が必要になるものの、継続的な人間関係が前提となる同じコミュニティーの人間の間では貨幣などと言った大変な物をわざわざ使用しなくても、貸し借りの関係による、掛けの取引を保っておくことで、商品交換における制約をある程度攻略することができます。
一般的に、田舎の方が生活費が安いと言われることが多いですが、これは家賃を除いた物価の問題として考えると、知り合い同士で食べ物などの生活必需品をお互いにお裾分けするという習慣が存在するため、結果的に貨幣市場を通した取引が日常生活でほとんど必要なくなるためです。
自家栽培などもそうですが、貨幣市場に依存せずに生活をすることができれば、月に必要な生活費は激減します。
このような関係が何故成立するかというと、同じコミュニティー内である程度信頼関係がそもそも形成されていることを前提に、今後もお互いに同じコミュニティーで生きていくことがある程度想定されているが故に、他人に物をあげたらどこかのタイミングで回収できる余地が存在するためでしょう。
たまに、田舎の方が生活費が安いと聞いただけで、それを夢見てリタイアして移住した人が最初は村人から食べ物などを受け取れていたものの、全くお返しをしなかったところ、そのうち何ももらえなくなったという話を聞くことがあります。
これは食べ物を与えてもらった事による見えない買い掛けが貯まりまくったのにもかかわらず、その負債を解消するための行動をしなかったがために、最終的に相手からの信用が完全に毀損されて、取引の終了を宣言されたという状況になるでしょう。
このように、物理的に近い距離の人間関係というのは、見えない債権、債務関係がいつの間にか成立していたりします。
そんな田舎みたいなわけのわからないものに関わりたくない、という人は貨幣市場のみを介してクリアな取引をし続けることになるでしょう。
代わりに、生活費を始めとした金額は高くつきます。
とはいえ、このような近い距離の人間関係においてよく成立する特殊な関係を考慮して、上手い具合に人間関係を築いていくことを意識しておくことは後々重要になってくるのではないか、と考えています。
というのも、今は近い距離の人間関係であっても、ライフイベントが変わることによって、遠くの距離の人間関係に変わってしまう場合があります。
そして、今はIT化が進んでいるため、近い距離の人から遠い距離の人に変わってしまったところで連絡は簡単に取ることが可能であるという特殊性があります。
そして、この場合は、単なる遠い距離の人間関係にとどまらず、ある程度信頼関係が築かれた上で、しかも、ある程度見えない債権・債務関係を引き継いだ状態での遠い距離の人間関係となります。
この場合、遠くにいたとしても、現代社会においては、必要な時にネットを介してお互いに助け合うということもかなりやりやすくなります。
そして、そのような人を増やせば増やすほど、適切なタイミングで他人からの助けを得ることができる可能性が高まると考えられます。
そのように考えると、近い距離の人間関係であるタイミングにおいて、適切に信頼関係を築いたり、見えない債権・債務関係を築くことができるのであれば、その機会を逃さずにいた方が良いのではないか、と考えられるのです。
そして、そのような機会を逃さないことを考えると、田舎に良くあるような、物をお裾分けをするという習慣を予め自分の中に持っておくということが重要になってくると考えられます。
このように、考えると、メルカリなどの手段などとは別に、近くの距離の人間関係のためにも何が自分にはできるのか、
一期一会と言われますが、その機会を果たして自分は最大限生かし切れているのか、
ということを考えるのが重要かなと思います。