「ブルシットジョブ」という言葉があるようです。
これは、『BullShitJobs』(=どうでもいい仕事、クソ仕事)という本から来ています。
著したのはウォール街占拠運動の理論的指導者として知られる文化人類学者デヴィッド・グレーバー教授とのことで、グレーバー教授は「『どうでもいい仕事』が増え続けており、さらに必要ない仕事ほど、高給になっている」と語っているようです。
この本を読んで、私の今の勤め先においても、思い当たる節がありました。
私たちは新卒で就活する際には、取りあえず仕事をする時間は人生の中でも長いのだから、どうせならばやりがいのある仕事をやりたいと考えて必死に自己分析なども行います。
しかし、いわゆる人気のある仕事であっても、世の中的には大したことをしていない、少なくとも当人にとってはそう感じてしまう仕事が多いようなのです。
仕事をのやりがいを求めて色んな本を読んできた私ですが、この本を読んでいて、「やはり、勤め人の仕事は割り切りが肝心なのかもしれない」と感じ始めています。
この本で言及されている「ブルシットジョブ」に従事している人の大半は、つまらない仕事、やりがいのない仕事をしつつも、しかし、なかなか状況的に他に自分がやるべき有意義な活動にも集中できない状況に置かれているようです。
つまらない仕事をさせられつつも、しかし時間が空いても遊んだりすることは良しとされない、という空気がそうさせているのでしょうか。
この辺りを上手くやっている人は、勤め先に勤めて「ブルシットジョブ」をやりつつも、完全に割り切って勤め先を「踏み台」として自らのキャリアのステップアップに活用できているそうですが、みんなが皆そうとも限らないとも書かれているようです。
もっとも、2020年におけるコロナ禍によって、テレワークが広がったことで、「ブルシットジョブの合間の空いた時間に自分にとって有意義なことをする」という観点では一定の活路が見いだせるのではないか、とも感じています。
グレーバー教授も「本当は保育園の先生のような何か人の役に立つ仕事をしたいのだけれど、生活のために仕方なく給料の高い仕事を選択している、という人も多いです。なかには十分なお金を稼ぐために、週に3・4日は社会に役立つ仕事をして、残りの1・2日はブルシットジョブをこなすという人もいます。でも、そういう仕組みづくりをするのはなかなか厳しそうです。」と語っていますが、制度としては難しくても個人レベルではある程度の範囲であれば工夫の余地はあるのではないか、とも感じます。
そう考えていくと、私にとっての理想の、勤め先における労働時間とはどのくらいだろうか、と考えます。
まず、24時間から睡眠時間である8時間を除くと16時間残るわけですが、感覚的にブルシットジョブとなると、その1割ぐらいしかやりたくない、と感じます。つまり、およそ1時間から2時間の間ぐらいになります。
今の現実の私の労働時間から考えるとほぼあり得ないレベルではあるものの、理想は理想として頭の隅で考えておいても良いかもしれないなと感じています。
どうしたら、勤め先の仕事における生産性を上げて、労働時間を減らし、残りの時間を自分にとって有意義な活動をするための時間に充てることができるのか、その時間管理の観点からの試みをこれからも行ってみたいと思います。