毎日生きていると、嬉しいこともあれば、嫌なこと、ムカつくことも生じます。
私は結構ネガティブになりやすいタイプなので、何か嫌なことがあったら、その日は一日中そのことを考え続けて嫌な気持ちになり、消耗します。
不安な気持ちを始めとして、イライラや、ストレス、憤りなどを感じることが当然あり、その場合、しばらくそのことで頭の中が占拠されてしまいます。
そして、頭の中がネガティブな、非生産的な、悩んでいても仕方が無いことで、占拠されている時間が長ければ長いほど、時間とエネルギーがどんどん流されてしまいます。
それはまるで、お風呂に入っているときにシャワーを使用しないタイミングでは蛇口をひねってお湯を止めるべきなのに、しかもそれをしっかりとわかっているはずなのに、全く身体が動かずダラダラと意味も無くシャワーを垂れ流して、水道代とガス代を浪費しているのと同じような物です。
これは例えば、受験をし終えた後、合格発表までに1ヶ月あるとして、終わってしまった試験であるにもかかわらず、今から自分の力で結果を変えることなどできないのに、悶々と「受かっているかな?」「どうなんだろう?」と永遠に考えてしまうのも同様だと思います。
無意味なんですけれどもついついやってしまうわけです。
このように、特に不安な感情というのは、特に良い行動を促すこともなく、ただただ私たちから時間とエネルギーの浪費を促す物であるため、できることならば、ネガティブな事が起こったとしても、そのこと自体にとらわれずに、ポジティブな結果を期待できるような行動をする習慣を付けた方が良いと思っています。
しかし、わかっていてもこれはなかなかできません。
そこで、私が注目しているのは、リフレーミング習慣です。
これは状況解釈力とも言いますが、嫌なことやムカつくことがあっても、その事実に対する解釈を変えてしまうことで、ポジティブな姿勢に変えることができます。
とはいえ、そうですか、じゃあやってください、と言われてすぐにできるほどことは単純ではありません。
何かリフレーミング習慣を身につけるための方法論を考える必要があるなと思いました。
そこで、私が思いついたのは、
困ったことや、ムカつくことがあったら、いや、これはむしろチャンスなのではないだろうか
と自分自身に問いかけるようにする、ということです。
つまり、ピンチのような場面をチャンスに変えるためにはどうすればいいのか、ということを自動的に考えることができるようにすると言うことです。
このような問いかけが自分に対してなされた時点で、それに対する回答を考えなければいけないという気持ちになるという意味で有用です。
これはネガティブなものをただじゃあポジティブに解釈しましょうと適当に意気込むだけよりは少なくとも具体的な方法論になりますので、実効性があるのではないかなと考えています。
せっかくなので、具体的に考えてみます。
例えば、いつもの道を適当に歩いていたら、工事中で上手く通ることができず、回り道をすることになってしまったとします。
いつもの道が通れないのですから、「マジかよ」とか「困ったな」とか思うと思います。
このまま行くと、嫌な思い出だけが記憶に残ります。
そこで、「いや、これはむしろチャンスではないか」と自らに問いかけてみます。
そうすると、「いつもの道を通ることができなくなったため、他の道を通らざるを得なかったけれども、それによりむしろ今まで行こうともしなかった通りのことを知るチャンスを得ることができた」などのように何かしらの回答を考えざるを得ません。
チャンスになる要素を考えざるを得ないのですから、自動的に思考がポジティブになります。
そうすると、自動的にいつもは通らない道のことを知るために周りをチェックし始めて、新しく知ることのできた内容が増えるため、嫌な思い出ではなく新しい発見のあった思い出に変わります。
ちょっとした自問自答の習慣をつけるだけで、リフレーミングを習慣づけることができるためおすすめです。
ちなみに、私は偶にお金持ちに生まれて労働をする必要の無い、勤め人としての苦しみを味わう必要の無い人を見ると羨ましい気持ちになってしまいます。ようするに、自分の境遇に対してネガティブになります。
しかし、ここで、むしろこれはチャンスではないかと唱えたところ、
「むしろ、勤め人として働かなくてはいけない立場だからこそ、経済的自由を目指すために試行錯誤して行く必要性が生まれるのであって、経済的自由を達成し、その維持をするためのスキルを身につけるチャンスではないだろうか。最初からお金持ちに生まれた人はそんなことを考える必要が無いのだから、お金の使い方に対して自分なりの哲学を身につけるために自分を鍛える必要など無いし、投資哲学を考察する必要も無い。暴落時のメンタルコントロールの技術も身につける必要も無い。そして、何よりも、こんな風にブログで経済的自由を目指す過程の自分の成長を記録し、なぜ経済的自由を目指すべきなのか重要なのか考察することすらできない。私は勤め人として働かないと行けない立場だからこそより着実なスキルの成長が可能なのだから、むしろチャンスではないだろうか」
という回答を出すことができており、これは私が意欲的に試行錯誤を繰り返す原動力となっているのです。
困ったことや、ムカつくことがあったら、
いや、これはむしろチャンスなのではないだろうか
と唱えてみて下さい。