2020年も、もう終わります。
この記事を書いている時、私は社会人2年目として働いています。もうすぐ社会人3年目ですね。
こうやって働いてみると、時には、特に社会人1年目にこれは多かったのですが、「社会人として●●すべき~」というアドバイスもいただくこともありました。
具体的には、私の親からのアドバイスなどもありましたね。
私の35倍近く「社会人生活」を送っているのですから彼らも何か自分の経験に基づくアドバイスを娘である私にしたかったのでしょう。
とはいえ、残念ながら、というよりも申し訳ないのですが、私の感覚としてはほとんどの勤め人メンタルを持っている人からのアドバイスは話半分として聞くべきと考えています。
ここでいう勤め人メンタルというのがそもそも何を指しているのかということですが、
仕事というものが何かという認識について、「仕事というのは誰かから与えられるものであり、与えられた仕事について粛々と遂行していくべきものである」という考えが無意識にインストールされている人が多いのではないかと思います。
これはそもそも仕事とは一体何か?という根本的な問いに通じるものだと思います。
よく言われることに、仕事と作業というのは異なる、というのがあります。
他人から与えられた仕事をやっている時点で、自分の創造性がほとんど介入されないのですからいくら頑張って遂行していたとしてもそれは「作業」をしているに過ぎないという意味でしょうね。
他人から与えられた仕事しかできない人というのは、いわゆる労働者です。
労働者というのは雇用者との間で雇用契約を結ぶわけですが、雇用契約の中身というのはざっくりと言うと労務を提供する対価として賃金を得るということになります。
そして、この労務というのは雇用者による指揮命令監督下におけるものであり、自由に何でもできるということは基本的には想定していません(もちろん、裁量のある労務などもありますが)。
このため、基本的に労働者は雇用者という他人から与えられた仕事を粛々と遂行していくことが求められています。
労働者は生きていくために、賃金を得るために、雇用契約を結び続けてもらう必要があるのですから、基本的には仕事を次の日も与えてもらわなければ困るわけです。
この前提をもってみれば、確かに仕事=他人から与えられるものという認識に至るのはさもありなんといったところでしょうか。
最近はコロナの影響だと思われますが、リストラの話をよく耳にします。
また、何度もこのブログでも言及していますが、大企業は事実上の45歳定年制を想定しているかのような動きを取っています。
おそらく何らかの原因で勤め先が無くなってしまった人は、新しい仕事を探すでしょう。ここでいう仕事というのは大抵の場合は「他人から与えられる仕事」のことです。
労働者というのは、自らの労働力を売ることで雇用主と雇用契約を結び賃金を得ることが初めてできるのですから、逆に言えば、雇用主側が①誰かに与えるための仕事を用意した上で②特定の労働者にこれを与えることで初めて雇用契約は成立しうるわけです。
そもそも、①がさほど存在しない中で、②において労働者同士で少ないパイを争う必要があるのですから、不況の時の労働者は本当に大変です。
仕事=他人から与えられるものという認識しかない人は上記のような状況に陥った場合には大変な思いをすることになります。
一方で、リストラを機に起業をする人もいます。
このような人は、仕事=他人から与えられるもの、というのに限らず、仕事=自分で創り出すものという認識が少なからずあるのだと思われます。
そして、このように雇用主から与えられるような「仕事」というのは創造性がない、すなわち誰でもできることです。
そこに個性はありません。あなたじゃなくてもできるからです。
よく仕事で自己実現をとか、やりがいをとか色々就活の際にちゃんと考えろなどと言われることがありますが、仕事=他人から与えられるものという認識がその人の中でインストールされている場合、仕事で自己実現するのはそもそも難しいと思います。
この場合、仕事のやりがい(?)として出てくるのは給与等を外せば、「お客様にありがとうと言われたい」などという就活生が言いがちなことしか思いつきようがないと思います。
何故なら、他人から与えられる仕事をやっている以上、やるべき内容についてその人の個性が全く反映されない(誰でもやることさえやれば結果が出るようになっているのだから個性などそもそもいらない)からです。
「(担当するのは究極的にはあなたじゃなくてもよかったけど)労務を提供してくれて、ありがとう」というせめてもの感謝の言葉という形の報酬を得られたら確かに嬉しいのでしょうが、これは自己実現と直接は関係していないのではないでしょうか。
これは文字通りただの「労い」の言葉に過ぎません。
やはり、「あなただから”こそ”良かった」と言われるような個性が反映された仕事を目指したいところです。
仕事というのは誰かから与えられるものであり、与えられた仕事について粛々と遂行していくべきものであるという認識でことに当たっていたら、このようなことは誰からも言われないと思います。
どこかの過程で、その人の創造性が発揮され、個性が反映されていく必要があると思われます。
とはいえ、じゃあ、起業しなければ、仕事を創り出すことができないのかといわれればそれは違うと考えられます。
勤め人であっても、仕事=自ら創り出すものという認識がある人というのは、勤め先から振られた仕事について自分なりに再構築することによって仕事を創造することができます。
具体的には、
「Aを直して欲しい」
と言われた際に、真に受けて「Aを実際に直す」だけでは個性は全く発揮されません。誰にもできる具体的な「作業」だからです。
状況にも依りますが、「そもそも何故このような依頼が来るのか?」と考えて、「A以外にもBを直すべきかもしれません」、とか、「そもそも問題を解決するに当たってAではなく、Aの原因であるA'を直す必要があります」とか、「Aをそもそも直す必要などありません」ということが問題解決の場面ではあり得ます。
このような本当にちょっとしたことであっても、気づく事ができるのか、気づいた上で、真の問題解決のために行動、遂行できるのか、ということが仕事の小さな創造性につながるのではないでしょうか。
勤め人の立場だと大したスケールのことはできないかもしれません。
しかし、この発想をどんどんスケールを大きくしてできるのであれば、それはより大きな仕事を創り出し、しかもそれを遂行するという形で業を起こす、起業することができると思われます。
そして、初めのうちはほとんどその人本人のみですべて仕事が遂行できるかもしれませんが、この創り出した仕事のスケールが大きくなってくると、今度はその人本人のみでは、創り出した仕事を遂行することが現実的にできなくなってきます。
そうなると、誰かを雇い、その仕事を与え、代わりに遂行してもらうことが必要になってきます。
その時に、初めてその人は自営業者としての起業家から、「他人に仕事を与えることができる」事業家、経営者、資本家のような、資本主義社会における主役の立場になれるわけです。
これは例えば、勤め人であっても特定の部署で部下に指示を出している人であっても似たようなことは可能と思われます。
いずれにしろ、冒頭にも書いたとおり、人生100年時代とする一方で、大企業を中心に45歳定年制とも言うべきものが進行しているという現実を見つめると、
私たちがするべきことはいつまでも、労働者として、「仕事を誰かに与えてもらうの待つ」とか、「仕事を誰かに与えてもらうために営業する、媚びる(≓単に転職活動をする)」というような行動をするのではなく、「仕事を自ら創り出せるようになる」ことが必要になるのではないでしょうか。
比較的、高齢になると新たな就職口が見つからなくなるとはよく言いますが、そもそも誰でもできるような仕事であったら、賃金を下げるか、若者以上の体力を持ってパフォーマンスやバリューを出せるようにならない限りは雇用主が「仕事を与える」という取引に応じてくれるわけがありません。
なお、最近はギグエコノミーというように雇用契約に拘らない形で、例えばウーバーイーツのような個人事業主が増えているようです。
これは一見微妙に勤め人として働かず、好きなことで、好きなタイミングで働いているように見えますが、「他人から与えてもらった仕事」を遂行しているという意味では勤め人と残念ながら大差はありません。
単に、労働時間の制約条件が異なるだけです。
そして、労働時間における制約が比較的厳しくない、自由であると言うことはそれと引き替えに長期の雇用や安定的な仕事の配給が期待できないと言うことでもあります。
ウーバーイーツをやっていたり、フリーランスを単純にやっているだけでは、勤め人と比べて大きく異なることをやっているわけではなく、取引の形態が微妙に異なるだけです。
最近は、いわゆる副業、複業が推進されたり、現実的にこれを行っている人も増えているようです。
しかし、これらの仕事の内容が実質的に創造性がなく、「他人から与えられた仕事を遂行する」という枠から外れないものであれば、それは「他人から仕事を与えてもらう」という枠の限度でリスクヘッジを行っているに過ぎない状態だと思われます。
つまり、勤め人でいうところの、ダブルワークという形を取ることで勤め先という仕事の供給先のリスクヘッジをしているに過ぎないのと一緒と言うことです。
とはいえ、現実的な方策としては、このリスクヘッジの視点自体は、もっておくべきかと思います。
というのも、例えば、いわゆる大企業に就職した場合、「23歳から45歳辺りまで仕事と賃金が安定的に供給される代わりに週5日間は時間が拘束される」といった内容の取引を行っていることになり、これに加えて空いた時間で副業をする場合は、「いつでも仕事自体を行うことは可能だが、いつその仕事が与えられるのか、いつまで与えてもらえるのかは確約できない」フリーランスタイプの取引をすることになります。
このような異なる性質の仕事の供給の条件を組み合わせること自体はリスクヘッジの観点から重要でしょう。
前者の取引が45歳までの期間限定の取引になる可能性が既にわかっているのですから、それ以後のためにフリーランスタイプの取引の経験を積んで慣れておき、前者の取引が終了したらあとはフリーランスタイプの取引を組み合わせて残りの人生を送るという発想そのものは悪くないと思います。
しかし、上記においても触れたとおり、「他人から与えられる仕事」、すなわち誰でもできるような仕事であったら、賃金を下げるか、若者以上の体力を持ってパフォーマンスを出せるようにならない限り45歳以上の人が選ばれるのはそこまで容易ではないでしょう。
「他人から与えられる仕事」を続ける限り、常に「他人から仕事を与える先として選んでもらう」必要があります。
そうなると、高齢になればなるほど「他人から与えられる仕事」の取引条件は悪くなってしまう可能性があると思われます。
つまり、仕事のポートフォリオの内容として、「他人から与えられる仕事」のみならず、「自ら創り出す仕事」の割合を「他人から与えられる仕事」の枠の中でリスクヘッジとりながら徐々に増やすという意識が大事になると思われます。
金融商品に対する投資においても、「卵を一つのかごに盛るな」とよく言われるのですから、リスク許容度に応じてポートフォリオを徐々に自分なりに最適化させるという意識が重要です。
そして、「他人から与えられる仕事」というところから大抵の人は勤めをスタートせざるを得ないのですから、「他人に仕事を与えることができる人」というのは、仕事の成果物を顧客に提供するのと同時に労働者に対して雇用創出しており、適当に働いているのとは比較にならないレベルで社会貢献を行っていると言うことになります。
このような、「仕事を自ら創り出せるようになって、それを他人に与え続けることができる人」こそが目指すべき姿であり、自己実現と社会貢献を両立させることができる社会人のあるべき姿ではないでしょうか。
冒頭で、私の親のような勤め人メンタル、すなわち「仕事は他人に与えてもらうもの」という意識がインストールされている人の話は話半分に聞くべき旨のことを記載しました。
要するに、私よりも長い間働いていようが、特定の勤め先で勤続年数が35年超えていようが、上記のことを普段から意識できていない人というのは、私の目線から見て「社会人としての経験を積んでいる」とは言えないという認識です。
「仕事を自ら創り出せるようになって、それを他人に与え続けることができる人」になるためには、少なくとも「仕事は他人に与えてもらうもの」という意識を持つ労働者、勤め人をまずは(メンタル面で)卒業する必要があります。
そして、勤め人を(メンタル面で)卒業するだけでは「仕事を自ら創り出せるようになって、それを他人に与え続けることができる人」には当然なれません。
これは、中学校を卒業しただけでは、高校生に当然にはなれないのと一緒で、中高一貫校でもなければ、中学校で卒業する前かあるいは卒業後に高校生になるにあたっての試練、試験を突破しなくてはいけないのです。
学校における試験のように明確な基準があるわけではありませんが、勤め人を(メンタル面で)卒業したら、「仕事を自ら創り出せるようになって、それを他人に与え続けることができる人」になるための経験値を少しずつ積んでいくことになるでしょう。この経験値を積むためには、一定の時間が必要になります。
いわゆる、要領の良い人はこの経験値の積み上げを勤め人時代から行っていると思います。
これは、中学生の早い段階から、高校入試を突破するための準備や高校生になってからの勉強を先取り、前倒しで行っているようなものです。
そして、この第一段階である勤め人メンタルを早期に卒業するために重要になってくるのがやはり経済的自由でしょう。
経済的自由を達成してしまえば、生活のためにお金を稼がないといけないという固定観念がなくなるので、「他人から与えられる仕事」をそもそもする必要が全くありません。
お金持ちの家に生まれたり、定年退職後の年金生活者においても、「他人から与えられる仕事」をする必要が全くないという点は一緒です。
しかし、自発的に1から経済的自由を目指してコツコツ努力を重ねてきた人と違ってこれらは環境によって与えられた要素が強いので、「なぜ経済的自由を目指しているのか、自分は努力しているのか」という自問自答が生まれません。
この問いがないのですから、なかなか「そもそも仕事って何?私がやりたいことは何?」というようなことも常に考えようもなく、思索が全く進まないので、なかなか仕事=他人から与えられるものという固定観念から抜け出せないと考えられます。
そのような意味で経済的自由を目指している人は比較的勤め人メンタルを卒業しやすい人だと思います。
そして、勤め人メンタルを卒業したら、上記に書いたとおり、仕事のポートフォリオの内容として、「他人から与えられる仕事」のみならず、「自ら創り出す仕事」の割合を「他人から与えられる仕事」の枠の中でリスクヘッジとりながら徐々に増やすという意識が重要になってきます。
ここにおいて、普通に働いている人はリスク許容度が高くないので慎重に仕事のポートフォリオを調整する必要があるのですが、経済的自由を達成している人は「他人から与えられる仕事」をやる必要が無く、比較的リスク許容度が高いので一気に「自ら創り出す仕事」の割合に集中投資するという振る舞いが可能です。
一気に、起業するという振る舞いも可能ですし、比較的大きな勤め先に勤めている人だったら周りの人が通常しようとも思わない提案やプロジェクトの企画立案をすることも可能でしょう。
他の人が取ることができないリスクをとっているのですから、失敗することもあるかもしれませんが、成功すればそれなりにリターンがあるかもしれません。
もしかしたら、待遇面も含めて、他の人が怖くてできないような提案が可能かもしれないのです。
これらは自ら仕事を創り出すという行動につながります。
このような真の社会人としての、「仕事を自ら創り出せるようになって、それを他人に与え続けることができる人」に是非ともなりたいなと改めて感じました。