「先生」
「師匠」
「憧れの人」
などと聞くとどのような人物を思い浮かべるでしょうか?
多くの人は自分よりも実年齢が上の人を思い浮かべると思われます。
特に、「先生」という言葉は「先に生まれた人」を示唆しているでしょうから、自分よりも年上で経験値が高い人を想定していると言うことが窺えます。
極めて単純な社会においては単純に生きている年数が多ければ多いほど多くの経験を積んでいることが多いでしょうから自分よりも先に生まれた人を尊敬することが多くなるでしょう。
しかし、現代社会のように複雑さが増しており、しかも、変化が激しい時代においては昔の時点では正しかったことがもはや正しくなくなってしまっていることも多くあります。
典型的な話としては、親が子どもに対してアドバイスしてくる内容が既に時代遅れで使い物にならなかったりするという話もあるくらいです。
そして、場合によっては自分よりも実年齢が若い人の方が自分よりも何らかの能力が優れているということもよくあるのです。
その能力が社会的に見て大して重要性が高い能力ではない場合もあったりしますが、時代の流れからしてこれからの社会を生きる人間として重要視せざるを得ないと思われる能力は存在するでしょう。
その場合、その自分よりも若い人を「先生」「師匠」として参考にせざるを得ません。
そして、このような人を「先生」「師匠」とすることの一番大きな利点は、
自分の今までの生き方を反省せざるを得ないという点です。
自分よりも年上の人を「先生」「師匠」とする場合、例えば自分が20歳で、「先生」が40歳ぐらいの年齢だった場合、
「あと、20年後には自分もあんな感じになれるといいな」
「自分もこれから頑張れたらいいなあ」
という悠長なことを考えられますが、
「先生」が自分よりも年下の人物であった場合、例えば、自分が25歳で、「先生」が23歳だった場合、
「自分が生きてきた約20年と、この人が生きてきた約20年はあまりにも違っていたのか」
と感じざるを得ないわけです。
そして、
「一体どこでこんなに差がついてしまったのか。才能?地頭?環境?努力?」
「今から、この人のようになるには一体何年かかることになるのだろう?」
「20年近くもかかってしまうのだろうか、それとももっと短い期間でこのような人になれるのだろうか?」
「そんな方法が果たして存在するのだろうか?」
などと今までの人生を振り返りつつこれから何をどうするべきなのか?と真剣に考えることになります。
このような切迫感をもたらしてくれるのが自分よりも実年齢が若い人を「先生」とすることの最大の利点です。
そして、このような人を最大限参考にして自分自身のOSをアップグレードを行う事がオススメです。
注意点としては、このような人を「先生」や「師匠」とする場合、いわゆる弟子入りのようなことをしにくいです。
相手も暇ではない場合が多く、弟子入りのようなことをお願いしても困惑され拒否されることもあったりします。
(私は実際に断られたことがあります)
したがって、そこまでの濃密な関わり合いができなかったとしても諦めずに何らかの形でコミュニケーションをとって相手のOSを自分にも同期すべく努力することになると思われます。
私の場合は定期的に食事に誘ったりして相手と話をする機会を意識的に設けました。
相手とそこそこ年が近い場合でしかも相手のレベルに自分が合わせられるようになるとこのような人は最高の仲間になる可能性を秘めています。
自分よりも実年齢が若い人を「先生」や「師匠」として意識することに関して心なしか抵抗感を感じる人もいるかもしれません。
しかし、年齢はどうあれ、自分よりも優れている人を参考にしないのはもったいないと私は考えています。
そして、自分よりも実年齢が若い人を「先生」や「師匠」にすると否応なしに自分の人生の見直しを迫られ、これにより自分の成長速度が結果的に高まるため非常にオススメです。