お金持ちの特徴としてよく挙げられるのが「長期的な視点で物を見ている」という点です。
そして、これはある程度正しいと私自身も感じています。
他の人にはない、長期的な視点で物を見ていると何が起こるかというと、目先のことばかりを考えていないので、物事に対して対症療法ではなく、原因療法を行う事ができるわけです。原因療法さえ完璧に行われてしまえば、対症療法にかける労力がなくなるので、その場しのぎの対策をする必要がなくなります。
もっとも、対症療法の語義を調べてみると分かるとおり、
原因療法とは、疾患の原因を取り除き、根治を目指す治療法。対症療法の対義語として用いられる。感染症に対して、病原菌を攻撃する抗生物質を用いた治療が行われるが、原因療法の代表的なものとされる。一般的に対症療法よりも原因療法が望ましいとされるが、原因が不明な症状に対しては行うことができない。また原因療法は効果が見られるまでの時間がかかるため、実際の医療現場では対症療法と原因療法を併せた治療法がとられることが多い
https://answers.ten-navi.com/dictionary/cat04/1541/#:~:text=%E5%8E%9F%E5%9B%A0%E7%99%82%E6%B3%95%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E7%96%BE%E6%82%A3,%E3%81%AF%E8%A1%8C%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82
普通の人はいきなり原因療法に手を付けることができません。
何故なら、
「原因が不明な症状に対しては行う事ができない」→とるべき方針がそもそも分からない
「効果が見られるまでの時間がかかる」→結果が出るまでそもそも待てない
という2点が大きな障害としてのしかかってくるからです。
特に前者は未知の領域に関してはある程度時間や労力を使って調査をする必要があることから普通の人にはなかなか手が出しにくいということになり、この点に課題がある場合はよほど余裕のある人以外は手が出せません。
前者の問題を何とかクリアし、取るべき方針が固まったとしても、後者の問題の通り、結果が出るまで時間がかかりすぎて普通の人はそれまで耐えられないのです。
したがって、上記の解説にも書いてあるとおり、現実的には、対症療法と原因療法を組み合わせた方法論をとるしかないわけです。
これは、食べ物を確保する際にも似たような事が言えます。
例えば、桃栗三年柿八年というような言葉がありますが、しっかりとした実ができるまで非常に時間のかかる植物というのが存在します。
このようないわゆる贅沢品が欲しいからと言って、自分の持っている畑にこれらだけ植えていても実を回収できるようになるまでに時間がかかりすぎて飢え死にするのです。
このような実がなるまで時間がかかる果実が欲しいと思った際には、現実的には自分の持っている畑のスペースの全てを使用してしまうのではなく、始めは大部分をすぐに実がなるまで時間がかからない作物を植えるようにして、自分が飢え死にしないようにしつつ、実がなるまで時間がかかる果実も同時並行で育成することが必要になります。
具体的には、例えば、畑のスペースが100あるとしたら、まず始めの段階では、99を実がなるまで時間のかからない作物Aを植えるためのスペースに使用して、残りの1を実がなるまで時間がかかる作物Bにします。
99%は作物Aの育成のために使用し、1%を作物Bの育成のために使用するということです。
これにより、作物Aをどんどん育ててどんどんその実を回収していきます。育成の担い手である人間は一応食べ物を食べないと飢え死にするはずなので、回収された作物Aの果実の内のいくらかはすぐに費消されます。
例えば、作物Aは30日ぐらいで実を回収できるようになるものとして、育成の担い手である人間は一日1個の作物Aと同じ容量の食べ物をとらないと飢え死にする物と仮定すると、まず、何らかの方法で手元に30日分の食べ物と作物Aと作物Bの育成費用を用意しておいて、30日後に、99個の作物Aを回収することになります。
「何らかの方法で手元に30日分の食べ物と作物Aと作物Bの育成費用をを用意しておいて」とさらっと書きましたが、これは現実的には、他の誰かからこの分を前借りしたものと仮定しています。
したがって、99個の作物Aを回収した日にまずこの前借り分を返済することになるため、例えば約35個まで手元の作物Aが減った状態で回収できる物と考えられます。
人にとってはこの時点で返済しないという選択を取るのかもしれませんが、前借りの利息の内容によっては後々大変なことになります。
そして、この状態で更に、99のスペースに作物Aを植えます。さらに30日後にこれらが回収できるわけですから、作物Aは35-30+99=104個が手元に残ることになります。
このやり方をずっと続けていけば、作物Aを大量に手元に保管しつつ時間をかけて作物Bという贅沢品を手に入れることが可能になるでしょう。その間(ギリギリですが)飢え死にすることもありません。
非常に簡単に書きましたが、この設定は見て分かるとおり非常に穴だらけです。
まず、「例えば、畑のスペースが100あるとしたら、」などと上の方に設定として書かれていますが、残念ながら普通の人はそもそも最初からそのようなスペースをもっているわけではないのです。
畑を持っているということはすなわち地主のような立場ということになりますが、この時点ですでに恵まれています。したがって、何も持っていない人というのはまず畑を確保する方法を模索しないと行けないのです。そのため、畑の調達費用もさらに計算に入れる必要があります。
また、上記の設定では、作物Aが30日で実を回収できるなどと書かれていますが、これも実はそんなに簡単な話ではありません。
作物Aは30日で果実を回収できるという設定から勤め人にいうところの毎月の給与のようなイメージで喩えていることが分かると思いますが、そもそも作物Aの作り方すなわち、勤め人で働いてサラリーをもらう立場になる方法を模索する必要やそれに相当する副業で稼ぐための方法論を学ぶ必要があります。この学ぶためにも時間がかかります。
時間がかかると言うことはその間飢え死にしないための作物も何らかの方法で予め確保しなければならないということです。しかも学ぶためにもさらにお金などのリソースが必要です。
この時点で、それなりの企業の場合には平気で大卒資格を要求してくるため、約20年かかります。
したがって、家庭環境によって、その人がそもそも作物Aを育てることができるようになるまで平均的に見て約20年間も耐えなければならないところが現代社会の辛いところです。
人によっては、大卒資格を諦め、高卒の時点で働いたりすると思います。しかし、この選択をした場合、作物Aを回収できるようにはならず、もっと低廉な作物Cすなわち、例えば30日経っても一つのスペース当たりに作物Aの半分の量の実しかならないものを植えざるを得なくなります。
このような状態に陥ると、結果的に手元に作物Cを保つことができる量が少なくなる、現代的に言えば、年収がそもそも低いので貯金するのが難しくなるという状況になりやすいです。場合によっては、道半ばで飢え死にする可能性もあります。
大卒資格を諦めずに有利の奨学金制度など、いわゆる教育ローンを組んで大卒資格を手に入れて作物Aをひたすら植えるということをやる人もいると思いますが、ローンの返済計画によってはこちらも途中で飢え死にする可能性が高まってくるのが難しいところです。
途中で飢え死にすることのないように、きっちり収支計画を考えながら行動しなければならないという意味では、例えば大卒で勤め人になってそれなりの給与をもらえたりしたとしてもいきなり浪費につぎ込むのは愚の骨頂であることはここからもよくわかります。
この意味でも社会人になりたての頃に貯蓄を意識するということは非常に重要であると思います。
もっとも、作物Aのみをひたすら生産していてもその人はおそらく幸せになりません。
上の想定では当たり前のように実がなるまで時間がかかる作物Bも1つだけ植えることを想定していますが、そもそも作物Bの存在も植え方も知らないと育成をしようがありません。
これはいわゆる大卒で勤め人をしながら貯蓄をするのは得意だが、しかし、貯蓄するだけで人生が終わってしまうという人の状態に似ています。収支計画をしっかりと立てて貯蓄の習慣を付けたとしてもそれだけでは、単に長い時間をかけて取りあえず貯金をしただけの人になってしまうのです。
確かに、資産形成をして老後は心配ないのかもしれませんが、そのような人は「作物Aだけしかつくれないまま人生を終えた人」になるわけです。
貯蓄魔の人はこのような人物像になる危険性があるわけです。もっとも、これは「普通の勤め人」としての実態でもあるでしょう。
もちろん、これは作物Aが様々な事情により作れなくなってしまった後の生存戦略として優良であるといえるため、目指して悪いことはありません。
それどころか、現代社会だと終身雇用などが保障されない世界となってしまっているので、もはや「作物Aだけをつくれるだけでは生存戦略としてはあまり良くない」という話になってきているので、
作物Aを生産している間に、より生産性の高い作物Dを作れるように、キャリアアップしたり、作物Eとか、作物Fとかもつくれるように転職してみたり複業してみたりといった試みが必要になるため、作物Bを作るだけの余裕を作ることがなかなかできない可能性すら出てきます。したがって、より複雑な戦略が事実上要求される可能性があります。
したがって、そもそも作物Bの存在に気づき、その育成方法を考えたり、それが育ち上がるまで飢えないように耐える方法を考えたりすることがまさしく長期的視点を持って戦略を練ると言うことに繋がると思われますが、これは最初から作物Bに対する、子供の頃からの夢や高い志が無い限りは、そもそも日常の作物A等の生産に追われてしまう以上作物Bを思いつく余裕すらないという状況になります。
作物Aを生産しまくって、もうこれ以上作物Aを生産しなくても大丈夫かもとか、このまま来年まで作物Aを生産すれば十分だという予測が立って初めて、「もう作物Aばかり植えるフェーズは過ぎたけど次は何を植えようかな」と考え始めていろいろリサーチして作物Bを育成することを思いつくというパターンもありそうですね。
これは、作物Aを生産しまくって短期的視野としてはその日暮らしをしなくてもすむという安心感が出てきて初めてそれよりも長いスパンでの視野を持って物事を考えられるようになると考えられるのです。
そうすると、作物Aという短期的な成果を上げ続けるだけではダメだと言うことに気づき、この作物Aの生産量を敢えて下げることで、作物Aの生産に取られていた労力を削り、余った時間で次の作物を育成するということを長期的視点で考えることになります。
偶に作物Aのようなものを生産しまくり、経済的自由を達成して、アーリーリタイアしたりしている人もいますが、その後に何をするべきかを全く決めていなければ、上記にあるようにいわゆる貯蓄魔の人たちのように、「作物Aだけしかつくれないまま人生を終えた人」になる可能性があります。
もっとも、作物Aを生産するという作業に拘束されなくて済んでいるという点はアーリーリタイアしている人たちは有利な立場にあるため、そこから次の作物をどうしようかと考えることができるようにはなります。
正攻法としては上記に書いたとおり、敢えて作物Aの生産のために拘束されてしまっている労力を下げることをやりつつ、他の作物を空いたスペースに植えるというのがもっとも堅実なやり方であると考えています。
作物Aの生産は短期的な問題を解決させるための手段であるため、この問題を解決し続けることによって、少しずつ長いスパンでの長期的視点で物事を考えることができるようになっていきます。
これは、新入社員が最初は目の前に与えられた仕事を処理するだけで精一杯だったのに、数年経つと、「仕事にも慣れたけど、今後のキャリアをどうしようか」とかより長い目で物事を見ることができるようになるのと一緒で、目の前の短期的な問題を解決することが先決であり、いきなり長期的な視点に立ったところでできることがあまりないという状況に陥るのと似ていると思っています。
お金持ちは短期的な視点での問題を既に簡単に対処できるが故に、長期的視点で自然と物事を考えられるようになっているのではないでしょうか。
気合いを入れて長期的視点で物事を考えているのとは違い、飽くまで自然とそのような思考になっているのだと思います。
したがって、まだお金持ちではないという人は、気合いで、意識的に長期的視点でどうなのか、どうすればいいのか、と考えつつも、短期的な視野も同時に持って目の前の物事に取りかかるという高度な切り替え作業を逐一行いつつ目標達成に向かうという戦略をとる必要があります。
まさに、対症療法と原因療法を並行して進める必要がありますよね、という話です。
したがって、長期的視点を持って物事を考えるということのために意識的に時間を取る必要が出てくると考えられます。
意識的に時間を取るというのは具体的に言えば、例えば土日の休日などの時になんとなく、適当にダラダラするのではなく、予めそのためのスケジュールを確保するようにして、将来のためにどうしようかと考える時間を天引きしてしまうというタイムマネジメントを行う必要があります。
まさに時間管理術に言うところの第二領域を確保するという発想が大事になるでしょう。