最近、友達と話す際に、「なんだか自分の人生に対する閉塞感、停滞感を感じてしまう」ということを話すことが多いです。
人生というのは調子が良いときは非常に良いままで良いのですが、ひとたび調子が悪くなるとそのままずるずると落ちて行きやすいです。何故でしょうか。
また、一時期、占いがテレビで流行った頃には大殺界という言葉をよく聞きました。
この期間に入ると運気が低迷してしまってなかなか前に進まなかったり、ネガティブな気分になりやすいそうです。
占いが本当に当たるのかどうかはよく分かりませんが、調子が悪いときに「まあ、今は大殺界だから」という言い訳で気持ちが整理できるのであればそれでも悪くないのかもしれません。
問題は、ざっと調べたところ、私はもう大殺界から抜け出しているようなので、このような言い訳が私にはできないということでしょうか。
これはこれでキツいのかもしれません。
ともかく、友達に、最近自分の人生がなんだか進んでいないような気がすると、適当な愚痴、悩みを話していたところ、
「そもそも理想が高すぎるんじゃないの?」
という指摘を受けました。
それと同時に、
「まるで新人がベテランにすぐになりたがっているかのようだ」
と言われました。
これを言われて、確かにそうかもしれない、と感じました。
どうしても、私たちは高すぎる目標に対して「でもなんとか短期間で楽をしてこれを手に入れたい」と考えがちです。
例えば、年収1000万円が欲しいと思った場合。
例えば、5000万円の貯蓄が欲しい場合
例えば、難関試験に合格したい場合
色々と考えられますが、「このような理想の自分になりたい」「これを手に入れたい」と思う一方で、「なんとかして早くこれを達成したい!」という気持ちにもなりやすいです。
しかし、上記の理想や目標を現実的に達成したことのある方は分かると思いますが、これらは一朝一夕で達成できるタイプの目標ではありません。
少しずつ、やるべきことを積み上げた結果できるものです。
そのためには当然ですが時間がかかります。
やるべき事を頑張ったとしても、成果が出てくる前に心が折れそうになることもあるでしょう。
この点、よくできた、RPG、ゲームは、難易度が適切に設定されていると感じます。
いきなり、主人公である勇者はラスボスである魔王を倒せないですから、少しずつ中ボスを倒すべく努力をプレイヤーにさせて、中ボスに勝ったという醍醐味を与えてくれます。
このような楽しみを与えてもらって、少しずつプレイヤーはゲームのシナリオを進められているという実感を持ちながらゲームをプレイして心地よい気分になることができます。
高い目標を掲げたときに必要になってくるのは、高い目標に対する固執だけではなく、RPGのゲームで言うところの雑魚敵、中ボスの適切な設定、配置になるのかもしれません。
これらはたまたま環境によって与えられていると、自分からわざわざ作る必要が無くて楽です。
これらは、学校における定期考査かもしれませんし、勤め先での人事評価かもしれませんし、難関試験の模試かもしれません。
たまたま与えられているのならばとてつもなく楽ができますが、
そうでないのであれば、自分で作るしかないのでしょう。
逆に言えば、自分で中ボスを、中間目標を適切に設定できる人は独りでに勝手にやるべき事を行って努力を積み重ねることができるのでしょう。
適切な、中間目標の設定について今後も意識していきたいと思います。
さしあたり、今年の目標は不動産投資において法人でそこそこの規模の一棟アパート、一棟マンションを購入する、または、借り上げ社宅に住むというところでしょうか。
特に前者については是非とも達成したいところです。
購入に至るまでに現実的に必要になってくることは実際問題多いと思いますが、そこも慎重にかつ少しずつできることから進めていきたいと思います。