1円を笑う者は1円に泣くという言葉がありますね。
1円のように微量なものだから、別に気を遣わなくてもいいや、と思っていたら大事なときに限ってその1円が足りずに得たい結果が得られないということです。
このような事態があり得ることから、
「安いから今回はついでに買ってしまっても大丈夫だろう」
と思ってしまうと、その後も同じようなことを繰り返すことになります。
したがって、本当に欲しい物以外は安易に買わない、という姿勢はかなり大事になってきます。
同じような発想で、
1秒を笑う者は1秒に泣く
ということも言えると思います。
例えば、
ちょっと時間はかかるけど、今は何も問題は起こっていないから特に工夫はしなくてもいいや、
と思うときはある程度あると思うのです。
それは具体的には、
パソコンの起動時間が若干遅いなと感じる、
という程度の話や、
ショートカットキーを使わなくても一応やりたい動作はできるからショートカットキーは覚えなくてもいいや
という話もあり得ますし、
シャワーを浴びるのに多少時間はかかってしまう気がするけど、まあいいや
と思っていたりすることもあると思いますし、
ちょっと通勤時間がかかってしまうけどいいや
とか、
昼食を用意するのにちょっと手間取ってしまっているけどいいや
とか、
考えてみるととにかくたくさんあると思います。
特に、時間というのは気がついてみたらいつの間にか経っていた、という性質の物でもあるため、
お金を使って何か物を買うときのように時間をどんどん失っているということ自体の自覚がそもそもしにくいというのが曲者です。
ネットで動画などを見ていたらいつの間にか2時間ぐらい経っていた、ということもあり得るでしょうし、
もっと無意識的な動作をしている間であってもいつの間にか時間は過ぎています。
したがって、私は自分が無意識にできることであっても、なんとか時間を消費しないようにシステム化できないかということも考えるようにしています。
このように、たとえ1秒であっても、もっと効率化できないのだろうか、ということを考える思考の癖を付けておくことは非常に重要ではないかと思っています。
確かに、ちょっと時間を節約できたところで、お金の節約のように何かわかりやすい見返りがすぐにあるわけではないのですが、
しかし、時間が足りなければ何もできないと言っても過言ではありません。
微差というのは大差に繋がるので、
1秒を笑う者は1秒に泣く
という事態をできる限り避けることを普段から心がけておくことが重要でしょう。
以下のように、複数の段階に応じた時間節約ができないかどうか検討してみるのも良いでしょう。
ほんのわずかな時間を節約して、時間をかき集めることは、財布からこぼれ落ちてしまった1円玉をその場で拾うかあるいは拾わないのか、という話に近いかもしれません。
そして、時間はお金よりもはるかに貴重です。
できる限り、時間の消費については注意深く自分の行動を観察してみましょう。
特に、チェックするべきは、生活するための時間の消費です。
私は上では髪の毛を維持するために時間がかかることを問題視していますが、これも髪の毛の維持のために時間がかかること=生活のために時間を消費しているととらえていることから、その消費を抑える方法はないのだろうか、と考えているわけです。
生活というのは毎日の無意識のルーティーンの行動が必ず存在するため、節約の文脈で言うと、これは固定費のようなものとなります。
生活の中で事実上固定的な時間の消費が行われている箇所があるはずです。
これが多すぎると、他のことに、より重要なことに時間を使うことができません。
生活のための固定的な時間の消費 を抑制できないか、と考えてみると、よく見ると様々な工夫が可能だったりします。
この辺りを如何に徹底的に改善できるのか、という姿勢を持っているのかどうかで、将来的に大きな差が生まれてきそうです。
そして、時間が足りないときに私たちはまっさきにわかりやすい睡眠時間を削ろうとしてしまいがちですが、逆に睡眠時間は削るべきではない、むしろ優先的に死守するべきというのが私の考えです。
睡眠時間以外の無駄な時間からむしろ削減対象、効率化の対象にするべきです。
そして、これができるかどうかは普段からの心がけによって決まることになるでしょう。